旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【板橋区】上板橋(町)

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【消滅した年】1965(昭和40)年
【現在の町名】上板橋、常盤台、南常盤台、桜川、東山町、弥生町、東新町
【感想・雑記】これたぶん上板橋町のはずなんですよ。確かに今も上板橋という町名はありますので今のやつでしょと思うかもしれません。
ただし現上板橋が1〜3丁目のところ、旧町名の上板橋町は1〜7丁目まで存在しており、ましてやこれは6丁目であることからも間違いなく旧町名の上板橋町のはずなのです。だからこそ、何故「町」が付いていないのか…町があるかないかだけの小さいことですが、そのあるかないかこそが大事なんですよ…

上記の現町名を見ていただければわかるかと思いますが、かつては大変広範囲に渡る町名でした。それ故に、現在も多くの場所で現存しているだろうと予想していたのですが、全くと言っていいほど残っていません。皆無ですよ。

[発見日:令和2年11月28日]

【文京区】小日向台町

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】小日向、音羽
【感想・雑記】文京区小日向といえば高級住宅街且つ高台にある町でお馴染みです。坂の町文京区の中でも特にとんでもない急勾配の先にある町という印象しかないこの小日向ですが、その過酷さを端的に表すのが旧町名である小日向台町です。そのまんま小日向台地にある町という由来でしょうか。

小日向を冠とする他の小日向シリーズはこちら
【文京区】小日向町 - 旧町名をさがす会
【文京区】小日向水道町 - 旧町名をさがす会

[発見日:平成30年7月29日]

【大田区】調布大塚町

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【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】雪谷大塚町、南雪谷
【感想・雑記】中原街道を挟んで雪が谷大塚駅の北側に位置する雪谷大塚町。このいかにも旧町名っぽく、更にはあたかも雪谷◯◯町という雪谷シリーズの旧町名が存在していたかのような町名、実は旧町名は調布◯◯町シリーズの一つ、調布大塚町という名前だったのです。

調布◯◯町という調布シリーズは、調布嶺町や調布鵜の木町などの旧町名が存在し、現在これらの町名は冠の調布が外れた状態で残っています。

一方でこの調布大塚町は、他の調布シリーズのように「大田区大塚」や「大田区大塚町」などではなく、新しく冠を付け替える形を選びました。

おそらく雪が谷大塚駅に合わせたのでしょう。なのに、雪が谷大塚駅の住所は大田区南雪谷。なんでだ。

ちなみの雪が谷大塚という駅名は、雪ヶ谷駅と調布大塚町駅の二駅が合併して誕生した駅名だそうです。それが1943年ですので、雪谷大塚町誕生の32年も前のお話です。

なお、大塚という名前はこの地域にある鵜木大塚古墳に由来しています。大塚から割と離れた場所にある鵜の木の名前が何故付いているのかというと、元々は調布村大字鵜の木字大塚だったのだそうです。池上村大字雪谷に隣接しているにも関わらず遠い遠い調布村の飛地として存在していた大塚が、調布大塚町時代を経て巡り巡って隣の雪谷と一体化して今に至ることに何らかの浪漫を感じずにはいられません。雪谷大塚町は、旧町名っぽい現町名などではなく本来のあるべき姿と言えるのではないでしょうか。

[発見日:令和2年9月5日]

【千代田区】神田一ツ橋

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【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】一ツ橋
【感想・雑記】家がない。学校とビルしかない。そんな立地の一ツ橋にも旧町名が残されていました。人口48世帯・わずか65人のこの地域、まさか残っている訳無いだろうという先入観が如何に無意味なものかを痛感したところです。これは気がつかなかった。
時間帯が悪かったので写真が暗いため、文字の判別に難がありますが、心の目で読むことにより問題なく読むことができるでしょう。黒色の一の文字さえ捉えられればほぼ勝ちです。

由来は江戸御三家の一橋家からきているのかと思いきや、一橋家は後で一ツ橋という橋が先だそうです。日本橋川と小石川の合流地点を表す一つに掛かっている橋なので一ツ橋らしいです。

[発見日:令和2年9月18日]

【板橋区】志村西台町

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【消滅した年】1969(昭和44)年
【現在の町名】西台、高島平、新河岸
【感想・雑記】都営三田線の駅名にもなっている西台。ラーメン二郎のある駅としてあまりに有名ですが、西台駅の住所は板橋区高島平。板橋区西台ではありません。ですが、西台駅開業の1968年時点では住所は板橋区志村西台町でした。これが今回の旧町名です。

西台の由来が現在の志村三丁目駅南側にある志村城山公園を登ったあたりにあった志村城の西側の台地という点からも分かるように、本来の西台は現在の板橋区西台の高台のエリアです。西台駅のある場所は一応は志村西台町ではあるものの一面田んぼだったことが古い地図や当時の古い写真からも伺えます。

したがって、範囲は広いものの実質的に高台部分だけをさがせば良く、更には戦前から存在するような屋敷のような家が多く残っているようなエリアなのでこれは目を瞑ってても見つかるやつだという予測の下で志村西台町をさがしはじめました。それがおよそ6〜7年前。

全然見つからないのよ。見つからない以前に勾配が凄いのよ。登ったと思ったらすぐ下らされてまた登らされて。古い屋敷の古い門柱もとにかく思わせぶり。志村西台町さんは気力と体力の両面を削ぎにかかってくるのですが、その隙を上手くつけたのか、こんなところに残っていたのかという感想です。これは何の話なんだ。

[発見日:令和2年11月15日]

【荏原區】中延町

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【消滅した年】1947(昭和22)年
【現在の町名】品川区中延など
【感想・雑記】東京の旧町名をさがし始めて14年余、


ついに、ついに、ついに!



荏原區発見しました!!!!



もうこの一文だけで私はお腹いっぱいです!


今まで長年に渡り、旧町名をさがす会をご愛顧いただきありがとうございました!!!!

[発見日:令和2年9月13日]






















そんな心境にもなるほど、これまでこの荏原區は探せど探せど見つからない鬼門というべき旧町名でした。

何故そこまで荏原區の発見が困難を極めたのか。その要因は2点。

まず挙げられるのが空襲被害です。

荏原区の空襲罹災率は、95.78%。これは東京35区中最大となり面積にすると3.8km2のうち3.68km2と言われています。ほぼ全域が空襲で焼き尽くされたエリアで戦前からの旧町名が果たして現存しているのか。完全に、俗に言う無理ゲーというやつなのです。
したがって荏原區は無いという前提からスタートしなければなりません。じゃあ荏原區は無理として、旧荏原區エリアの品川区の昭和40年前後に消滅した本来の旧町名をさがせばいいじゃない。さがしているうちにもしかしたら荏原區も見つかるかも知れないし、見つからなくても本来の旧町名をさがしをしていれば荏原區のことも諦められるはず。

そう思えればどれだけ楽だったでしょう。そうはいかないのがもうひとつの要因である、現行町名とのブレの無さなのです。

ブレの無さ。この言葉の絶望感をどう形容すれば伝わるでしょうか。簡潔に表すとこうです。

旧町名:品川区小山
現町名:品川区小山

そうこれが荏原區エリアの品川区、町の有無ですら無いのです。

さあ、このエリアで荏原區なんか忘れて旧町名さがしを行うことができるでしょうか。もう逃げ場はありませんでした。荏原區と向き合うしか無いのです。残余エリア4%の荏原區と。

そんなこんなでモチベーションを見出せない旧町名さがしをこのエリアでだらだら場当たり的に十数年繰り広げてきましたが、さすがに今回で最後にしようということで数日に分けてしかも真夏のクソ暑い中全域調査を実施しました。その結果がこれです!ちゃんとありました!もっと真剣に向き合うべきだった!

もう由来とか歴史とかはどうでも良いです。現存していたという事実だけで繰り返しますがお腹いっぱいです。

【足立区】島根町

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【消滅した年】1971(昭和46)年
【現在の町名】島根、梅島
【感想・雑記】今も町名として島根は残っているし、ましてや町があるか無いかだけの違いな訳ですからこれはもう確実に残っているだろうと思うわけですよ。何なら目を瞑ってても秒で見つけられるとまで思ったわけなんですよ。
結果1時間もかかってマジでゲロ吐きそうでした。現存していたから良かったものの。

足立区民にとって島根と言えば鳥取の横ではなく梅島の上の方でお馴染みの今回の島根町ですが、由来は別に島根県であるわけもなく、新編武蔵風土記曰く、島畑(水田の中にある畑地)が多かったから島畑村というのが誤って伝わったのか転じたのか何故か島根村になったのだそうです。

ちなみに足立区民にとっての島根の下こと梅島は梅田町+島根町の旧町名同士の合成町名です。

[発見日:令和2年10月25日]