旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【南多摩郡元八王子村】大楽寺

【消滅した年】1955(昭和30)年
【現在の町名】八王子市大楽寺
【感想・雑記】広い広い八王子。早くも大正時代に東京市に続き市政化するに飽き足らず、次々と周辺町村を飲み込み巨大化した結果が、みなさんおなじみ今日の広い広い八王子市となります。

広いばかりか、とにかく大きい大きい八王子。東京23区で最も広大な面積を誇る大田区の約61㎢に対し、八王子市の面積はおよそ三倍の186㎢。東京都最大は奥多摩町ですが、もちろん市では最大です。

広い、そして大きい。八王子市に対するイメージはこの2点ですが、むしろそれ以外はよく分からないのが正直なところ。おそらく旧町名的に今まで興味を惹かれなかったのでしょう。「○丁目」を1つとしてカウントした場合の八王子市に存在する町名の数は199、にも関わらず町名がほぼほぼ変わっていないんですね。199町名のうち97町名が住居表示済みではありますが、単に地番が住居表示に変わったのみで町名自体は同じ、概ねこの傾向です。

とはいえ199もある町名。はなから旧町名への期待が薄いため変なバイアスもなくフラットな視点で純粋に町名の文字面を地図上で眺めていたある日、八王子駅から遠く離れた北西の方角に「元八王子」なる町名を発見します。

そういえば八王子市に「八王子」という町名は存在しません。にも関わらず、中心市街地から遠く離れた場所に、なぜか市名を名乗る何とも厚かましい町名が存在しているのです。ただし彼には「元」が付きます。元が付く名前でこの世に存在するのは元ちとせだけです。では、この元八王子の「元」とは一体何でしょうか。

 

戦国時代、関東一円を統治した北条氏。本拠地は小田原城ですが、その支城となる重要な軍事拠点が八王子にありました。その名も「八王子城」。八王子城の所在地こそが現在の元八王子、つまり元八王子がかつての八王子そのものだったのです。ところが、八王子城は1590年の秀吉による小田原征伐により攻め落とされ、家康の江戸入城後に廃城となっていまいました。八王子城を擁したかつての城下町の町民は集団移転し、移転した先は街道が整備され街道沿いの宿場は大いに発展します。その場所が今日の八王子、新・八王子です。

かつて城下町として栄えた元・八王子は農民だけが残る寒村に。せめて名前だけでもかつての栄華をという願いなのか「元」八王子村として、大正時代に新・八王子が「八王子市」になるのを横目に残り続けましたが、昭和30年周辺の5村とともに八王子市に吸収され消滅してしまいました。

八王子から遠いのになぜか八王子を名乗っている謎の町名「元八王子」。住居表示済みではあるものの町名自体は例によって変わっていませんが、せめて「元八王子村」時代の何かが残っていないだろうか。

そんな好奇心だけを胸に八王子駅から自転車を約7㎞漕ぎ続けた先は元・元八王子村役場の、現八王子市役所の支所。建物はおそらく建て替わっているのでしょうが、入り口の門柱だけは確実に経年劣化した色合いのおそらく昭和30年以前のものでした。これぞまさに元八王子村時代の名残り!

と、まさか旧町名をさがす会(という名のブログ)ともあろう者がこれだけで終わるわけにはいきませんよね。特にこれというあてもなく勘と運と運もしくは運だけを頼りに更に自転車を走らせた結果が、冒頭に掲載している旧町名です。

元八王子村、ありました!

[発見日:令和6年3月9日]