旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

はじめに

☆★☆★☆★過去の活動内容☆★☆★☆★
【2006年】引越し先の向かい側で膨大な旧町名の現存を目の当たりに。都内の旧町名探索開始。
【2010年】ブログ『旧町名をさがす会』開始。みちくさ学会に参画・寄稿開始。
【2011年】東京お台場の東京カルチャーカルチャーで開催の、みちくさ学会発表会で旧町名さがしの魅力についてプレゼン。《第1回のもよう》《第2回のもよう》
【2012年】デイリーポータルZ『旧町名を探す旅、についていく』で活動紹介。
【2013年】NPO粋なまちづくり倶楽部主催『ブラカグラ』で旧町名さがしの魅力と神楽坂地区の旧町名について講義。
【2016年】ニッポン放送能町みね子のTOO MUCH LOVER』に旧町名が好きすぎる人として出演。
【2017年】交通新聞社散歩の達人8月号の『上野周辺 消えた町名の痕跡をたどる』で活動紹介。

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【向島區】寺島町

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【消滅した年】1947(昭和22)年→1965(昭和40)年
【現在の町名】墨田区寺島町→墨田区堤通、向島、墨田、東向島、八広、押上
【感想・雑記】墨田区寺島町は今でも割と見かけたりしますが、向島區時代のものも残っていました。

寺島町の由来は墨田区HPに詳しく紹介されていますが、ようはこのあたりの寺が由来っぽいです。という解説を、10年前の墨田区寺島町の記事でも全く同じように行なっていることに今気がつきました。
10年間成長の見られない、もとい変わらない良さが売りのブログです。

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[発見日:令和2年2月23日]

【大森區】新井宿

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【消滅した年】1947(昭和22)年→1965(昭和40)年
【現在の町名】大田区新井宿大田区山王、北馬込、中央
【感想・雑記】 大田区の前「大森區」時代ですので旧旧町名といったところでしょうか。新井宿は六丁目まで存在していたようですが、このうち大森駅近くの一角と四丁目以外は空襲の被害が無かったようで、その結果このような戦前の旧町名が今でも残されているのです。これをありがたいと言わずに何をありがたがればよいのでしょうか。

1889年に新井宿村が隣の不入斗村と合併して入新井村となります。1919年に入新井町となった際の大字名として新井宿となり、1932年の大森區成立の際に新井宿という町名になりました。1947年に蒲田區との合併で大田区が誕生しましたので、今回のはわずか15年間のみ存在した旧町名です。当時の状態のまま令和のこの時代まで残っていただいたことをありがたいと言わずに何をありがたがればよいのでしょうか。ちなみに、大森區新井宿の前の入新井町新井宿も何と現存していますよ!これで大田区新井宿が残っていればと思うところですが、もちろんそれも残っています!これをありがたいといわずに以下略

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[発見日:令和2年1月13日]

【南多摩郡】稲城町

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【消滅した年】1971(昭和46)年
【現在の町名】東京都稲城市
【感想・雑記】稲城町の何町だって話ですよ。本来このあとに何らかの町名やら大字やら小字がついてしかるべきところですが、これは何故か稲城町止まりだったのです。

それはさておき南多摩郡が残っていましたよ!

南多摩郡の歴史は1878年から始まります。当初は神奈川県南多摩郡だったところ1893年東京府の管轄となり、その後1971年にこの稲城市と隣の多摩市の成立と同時に消滅したようです。つまりこの南多摩郡稲城町は、最後の南多摩郡ということになります。

南多摩郡稲城町は1957年に誕生して1971年の稲城市成立までの14年間のみ存在していたそうですので、地味な貴重さです。ますます何町だったんだろうこれ。。

これで現存が確認できている郡は以下のとおり。

北多摩郡

豊多摩郡

南足立郡

荏原郡

北豊島郡は正式な記載有りのものは未発見

[発見日:令和2年2月24日]

【江東区】深川平井町

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】江東区東陽
【感想・雑記】江東区の旧町名といえば「深川◯◯町」という深川の冠がついた深川シリーズがあまりに有名です。旧深川區の町名は戦後江東区が成立した際に深川の冠をつける形に変わったのですが、住居表示の実施によって深川の冠がなくなってしまいました。旧深川シリーズの旧町名は、この「深川」そして「町」という頭とお尻が削がれた状態で現在の町名となっているのが大半です。旧深川富岡町の現富岡、旧深川牡丹町の現牡丹など。

そのような中でいくつかの町名は頭の深川とお尻の町どころか、真ん中の胴体すら刈り取られ、跡形もなく消滅してしまった町名があるのです。代表的なものとしては洲崎パラダイスでおなじみの深川洲崎弁天町が挙げられます。

住居表示の実施当時の深川シリーズの旧町名は40あり、うち8つが完全消滅の旧町名なのです。今回の深川平井町もまさにそのうちの1つでして、江東区平井などという町名は存在しません。現町名は東陽ですが、「東陽町」という地下鉄の駅名としてメジャーな名前ということもありあえて昔のままの、ましてやもう跡形もなく消滅している町名の形で残しているわけがないと思っていました。旧町名さがしを始めた10数年前に訪れた際や、まさに先ほど挙げた深川洲崎弁天町を発見した同じ日にこのあたりも探していたはずでもちろん発見できていませんでしたので、まさかその10年後に見つけられるとは思いませんでした。

町名の由来は、この地を開墾した人物が「平井満右衛門」から

[発見日:令和2年6月21日]

【北多摩郡久留米町】神宝町

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【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】東久留米市神宝町
【感想・雑記】東京23区の旧町名をあらかたさがし尽くしてしまい、ついに進退を掛けざるを得ない状況にありましたが、何とか23区下・多摩エリアという延命措置に成功しました。多摩エリアの町名が旧町名なのか現町名なのか正直調査不足ですし情報を持ち合わせていない分けですが、郡やら町やら村という旧自治体名が残っている確率が高いように思えるので、それをさがすことで自ずと旧町名に導かれるのではないでしょうか。

しかし、多摩エリアは東京時層地図の範囲外なので効率度外視で望まなくてはなりませんので、これまでの旧町名さがしとは勝手が違います。ああ恐ろしい多摩エリア。生きて帰ってこれるのかしら。この日もそのような心持ちで多摩エリアに足を踏み入れようとしていたのですが、twitter上で「今昔まっぷ」なる素晴らしいツールの存在を教えていただいたので、とても晴れやかな心境で旧町名さがしに臨んだことが今でも思い出されます。

今昔マップのおかげでこの日も久留米町時代の旧町名を数点発見することができて多摩エリアちょろいじゃんとでも油断したのでしょう。待っていたのはそう前輪のパンクです。これが多摩エリアなのです。油断した東京23区の人間は必ず多摩の洗礼を受けるのです。これからは片手間ではなく23区と同様に多摩エリアの旧町名にも真摯に向き合おう、そう誓ったり誓わなかったりしたそんな旧町名です。

久留米町の由来はこのエリアを流れる黒目川とも言われています。そして市制時に久留米市にならなかったのかというと福岡県久留米市がすでに存在していたからだそうで、先に存在していた東久留米駅から取って東久留米市になったそうです。

今回の神宝町(しんほうちょう)は、昭和42年に大字神山から住居表示の実施によって誕生した町名ですが、その3年後に東久留米市が成立しているのでわずか3年間しか存在しなかった何気にレアな町名っぽいです。

[発見日:令和元年6月9日]

【墨田区】太平町

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】太平
【感想・雑記】墨田区内の旧町名はあらかた見つけていた気になっていました。この太平町を除いて。錦糸町駅北方面エリアの旧錦糸町(現:錦糸)の上にあった旧町名ですが、現町名が太平という「町」のみ消えたものなのでこんなもの目を瞑ってても見つかるわと油断し続けて9年間見つけられていませんでした。あのころの私はとても浅はかで、「太平町会」という琺瑯製の何かを見つけたときに、ああこれで良いやという妥協をしてしまいました。もしかしたらこの妥協のペナルティーが9年間だったのかもしれませんね。無事更生し、30代を超えた私はようやく太平町に許された結果が今回の発見につながったのでしょう。

町内には江戸城を築城した太田道灌が1458年に建立したという報恩寺があります。山号は平川山。太田道灌の「太」と平川山の「平」が太平町の由来と言われているとかいないとか。

[発見日:令和元年10月22日]