旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

本が出ましたし、今尾恵介さんとのトークイベントもあります。

3月13日、弊著「旧町名さがしてみましたin東京」が無事発売されました。

https://www.amazon.co.jp/dp/4576230123

発売から一週間が経ち、ありがたいことに多くの書店の店頭に並んでいましたし、ありがたいことに多くの皆様方に購入いただいています。Amazonの本のランキングも全体で5,000位前後で推移するという良いのか悪いのか反応に困る位置づけです。

 

そして、お待たせしました。本の幅は16㎜でした。

 

全240ページのボリューム感は実際にいざ実物を目にして手にすると圧倒されました。自分で書いておきながら。

 

初見の感想は

「逃げ場なし」

 

通常の本に有りがちな「余白」がないのです。余白ページが。

 

その結果、文字と写真が延々と続く状態です。良く言えば活字と写真と旧町名に溺れることができる。オブラートに包まないで言うと、疲れる。いや、これも良い意味ですよ。良い意味で疲れる。きっと1日でぶっ通しで読む本ではないのかもしれません。読みたい場所を摘んで少しずつ読んでいただき、少しずつお楽しみいただきたい、そんな一冊です。

 

そして、そんな良い意味で疲れると話題のこの本の出版を記念して、

今週24日(金)に下北沢の書店B&Bでトークイベントが開催されます。

 

それがこちら↓

bookandbeer.com

 

そう。なんと、

あの地名研究家の今尾恵介さんをお招きしたトークイベント

なのです!

 

本が出ること自体もドッキリと思っていたところなので、これこそ完全なドッキリとしか思えません。しかし、ガチでした。ガチで開催されます。

 

そもそも旧町名を扱った本を出したとはいえ、私は地名にも町名にも明るいわけでもない只の町を徘徊しているだけの不審者です。そんな不審者が何かの間違いで神と対峙することになってしまったのです。

 

これは完全に怒られるやつだ。

 

そう思っていましたが、実は先日トークイベントの事前打ち合わせで今尾さんと顔合わせをさせていただきました。詳しいことは言えませんが、どうやらトークイベントはガチで行われますし、もちろんだれも怒られません。

 

それどころか

 

おそらく

 

そして確実に

 

めっちゃ面白いイベントになりそうですよ!

これはマジで。

 

今尾さんファンの方も、旧町名好きな方も

参加して損は無いです!

 

オンラインか会場で参加できますが、可能でしたらぜひ会場で参加いただきたい!

当日は、みなさまお誘い合わせのうえ、歴史の証人になってください。

 

参加申し込みはこちらから↓

bookandbeer.com

本がでます。

「あれ?ブログってどうやって書くんだっけ?」

 

旧町名をさがす会、およそ1年ぶりの更新です。

 

約1年もの間、なぜブログの更新が止まっていたのか。私は何をしていたのか。

更新を忘れていたわけでも、ログインパスワードを忘れたわけでもありません。

山籠りもしていません。ネタ切れやストック切れでもないとは言い切れません。

外付けHDDが壊れて14万円を払ってデータ復旧したショックで絶筆したわけでもありません。

 

この1年、原稿を書いていました。

 

昨年2月から11月まで、来る日も来る日も原稿を書いていました。

 

旧町名や住居表示という文字を何万回打ち込んだかわかりませんが、そのような日々を送った結果、冒頭のとおりブログの書き方を忘れてしまいました。本を出すためですから多少の犠牲は仕方がありません。

 

そうです!本を出すんです、私。

 

なんと、3月13日に二見書房さんから旧町名の本を出すことになりました!!

↓↓↓

www.futami.co.jp

 

どんな本でしょうか?

 

私もよくわかりません。正確に言うと、よくわからない内容になりました。地域研究や地名研究の類の学術書でもなく、まちあるきの指南書的なものでもありません。

 

二見書房さんのサイト内にある書籍紹介文を借りると

かつて存在し、そして消滅した地名=旧町名の名残りをさがす異色の街歩きエッセイ!

です。

 

つまり、完全に娯楽書です。娯楽として気軽にお楽しみいただきたい、その一心で書き上げました。100%書き下ろしです。いや、正確には92%書き下ろしでしょうか。

残り8%は特別対談分です。

 

なんと、

文筆家の能町みね子さんとの特別対談が12ページも収録!

 

これはすごい。そして、やはりブログの書き方を忘れてしまったので、脳が思いついたまま文字を入れ殴っています。今の所NO推敲です。

 

二見書房さんのサイトには、本で登場する旧町名の一例が掲載されています。これらはあくまで一例です。そこで、このブログを単なる宣伝やリハビリで終わらせない付加価値が必要と考えましたので、本書で掲載した旧町名の一覧をご紹介します。

↓↓
千代田区
三年町/神田松富町/神田五軒町/三崎町/猿楽町/須田町/神田旭町/神田田代町/神田一ツ橋

中央区
京橋區+日本橋區/本町/新佃島西町/日本橋兜町/月島通/宝町/霊岸島/越前堀/木挽町/小田原町/銀座西

【港区】
我善坊町/西久保広町/谷町/芝白金今里町/芝下高輪町/伊皿子町/三田豊岡町/芝琴平町/赤坂檜町/芝二本榎西町/芝三田小山町/赤坂氷川町/麻布霞町麻布笄町

【新宿区】
十二社/淀橋/柏木/角筈/三光町/花園町/諏訪町/坂町/本塩町/三栄町/戸塚町/霞丘町

【文京区】
音羽町/東青柳町/西青柳町/久堅町/真砂町/大塚窪町/第六天町/駒込追分町/根津須賀町/竹早町

台東区
浅草象潟町/南松山町/浅草公園六区/浅草聖天横町/池之端七軒町/上野花園町/谷中上三崎南町/谷中天王寺町/松葉町/谷中初音町/万年町/南稲荷町

墨田区
業平橋/竪川/東両国/錦糸町/寺島町/吾嬬町西/吾妻橋厩橋/小梅

江東区
深川白河町/深川牡丹町/深川平野町/深川洲崎弁天町/佐賀町/深川新大橋/深川住吉町/深川木場/深川門前仲町

【品川区】
品川宿/大井伊藤町/大井鎧町/大井滝王子町/中延町/上大崎長者丸/上大崎中丸

【目黒区】
月光町/駒場町/唐ヶ崎町/向原町/清水町/衾町

大田区
大森區+蒲田區/池上徳持町/入新井町新井宿/女塚/道塚町/森ケ崎町/市野倉町

【世田谷区】
玉川等々力町/玉川上野毛町/玉川瀬田町/大原町/廻沢町/烏山町/粕谷町

【渋谷区】
常磐松町/金王町/北谷町/原宿/穏田/伊達町/羽澤町/大和田町/代々幡町代々木富ヶ谷/通シリーズ/上智町/桜丘町

【中野区】
囲町/桃園町/文園町/中野町字道玄/塔ノ山町/仲町/宮前町/通シリーズ

【杉並区】
高円寺/神戸町/関根町/東荻町/馬橋/宿町/成宗/東田町/西田町

【豊島区】
椎名町/池袋東/長崎東町/高田本町/西巣鴨町大字巣鴨

【北区】
王子町/岩渕町/稲付町/袋町/稲付島下町/滝野川區+王子區

荒川区
日暮里町三河島町/日暮里渡辺町/日暮里町大字旭町

板橋区
小山町/茂呂町/根ノ上町/志村町/長後/板橋町下板橋/仲宿/徳丸本町

練馬区
板橋區練馬南町/田柄町/江古田町仲町

【足立区】
四ツ家町/小右衛門町/荒川の先の千住/伊興町シリーズ/舎人公園の亡霊

葛飾区】
本田中原町/本田渋江町/水元小合上町/本田木根川町

江戸川区
堀江町/逆井/葛西/桑川町/下鎌田町

 

どうですかこのボリューム感。なんか胃もたれしてきましたね。

本書は全4部構成で、上記の旧町名紹介は第2章にあたります。もちろんこれが本書のメインコンテンツではありますが、このほかにも第1章と第2章に大小コラムやらも控えています。マジで胃もたれするほど末長く娯楽としてお楽しみいただけるはずです。なにせページ数は合計240ページですから。

 

本日時点ではまだ見本誌が到着前なのでその厚みは不明ですが、相当の分厚さとのこと。見本誌が到着しましたら、センチメートル数をご報告させていただきます。

 

以上、今回は本の第2章に掲載されている旧町名の一覧のご紹介でした。ぜひぜひお買い求めください!

↓↓

www.futami.co.jp

【中野区】囲町

【消滅した年】1966(昭和41)年

【現在の町名】中野

【感想・雑記】5代将軍・徳川綱吉の生類憐みの令の言わば代名詞的な「犬屋敷」。または御囲」。江戸市中の野犬を収容した場所が現在のJR中野駅北側です。約93ヘクタール(93万平方メートル)に約10万匹のお犬様が収容されていたそう。ムツゴロウ王国の原型である。

その御囲の名残を伝えるものとして町名に「囲」が用いられましたが、住居表示の実施で中野区中野に。町名が消滅した後も「囲町」の名は町内会名や電柱の札に残り続けてきたわけですが、この御囲エリアでこれから再開発が始まります。建物解体用の柵に囲われているこの皮肉。旧町名共々囲町の運命や如何に。

[発見日:令和4年4月8日]

【大田区】糀谷町

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【消滅した年】1965(昭和40)年

【現在の町名】西糀谷、東糀谷、萩中

【感想・雑記】駅名には普通にあるので油断していましたが、現町名に糀谷というものは存在しないのですね。東西に分割されてしまいました。

「こうじ」というくらいなので、千代田区麹町の「こうじ」と何らかの関係性があるのかどうかはわかりませんが、江戸の頃、新編武蔵風土記稿では「麹屋村」と記されているので由来は同じなのかもしれません。知らんけど。

一方で、糀谷町が成立する前の小字を見ると「◯◯耕地」の文字がやたら多いのも気になります。もしや、耕地の当て字で麹、糀なのかもしれません。知らんけど。

[発見日:令和3年6月12日]

【目黒区】自由ヶ丘

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【消滅した年】1965(昭和40)年

【現在の町名】自由が丘

【町名の由来】この地に開校した「自由ヶ丘学園

【感想・雑記】元々は荏原郡碑衾村大字衾という地名でしたが、この地域の大地主で当時の碑衾村の村長が自由ヶ丘学園に土地を貸した上に、村長権限で町名をも自由ヶ丘に変えたというのが自由ヶ丘の始まりです。

 

自由が丘といえばモンブラン。日本で最初にモンブランを提供したお店が自由が丘にあるのです。その名もモンブラン

え?品ありきの店名なの?店名ありきの品名なの?モヤモヤする。

 

さらに創業者の名前が迫田千万億。

え?何この結構な初見殺しっぷり。読めなさ具合がモヤモヤする。

 

加えて、モンブランという「栗」のケーキが始まった自由ヶ丘の町名を付けた村長が「栗山」。

え?村長に寄せて栗使ったの?村長が姓をモンブランに寄せたの?モヤモヤする。

 

 

そんなことよりも現町名と旧町名の違い、お分かりになりますでしょうか。そう、「が」と「ヶ」が違うのです。

この微妙すぎる違いは東急線の駅名にも現れており、昭和40年の町名の変更後に「ヶ」を「が」にマイナーチェンジがなされているようです。

駅名といえば、東急線の開業当初は「九品仏駅」でしたが、その九品仏の門前にできた新駅が九品仏駅になったため自由ヶ丘駅に改称した経緯があります。衾駅じゃなくて良かったね。東横線で渋谷から特急乗った時の停車駅アナウンスが「渋谷、中目黒、衾」だったらモヤモヤしっぱなしだったよ。

 

[発見日:令和4年1月10日]

【足立区】四ツ家町

 

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【消滅した年】1966(昭和41)年

【現在の町名】青井、弘道

【感想・雑記】足立区立郷土博物館のホームページでは、昔の足立区の情景を写した写真を自由に閲覧できるコンテンツがあります。花畑地区にあった牧場や伊興地区での稲刈りの様子、梅島地区の区画整理の様子などなど、昭和の足立区の日常に触れられる大変有益な資料がふんだんに用意されているわけですが、街中が冠水している様子を捉えた写真がやたら充実している点が特にポイントでしょう。

検索トップ | 収蔵資料データベース | 足立区立郷土博物館

各種冠水写真の中で一際目を引いたのが「冠水した四ツ家町」というタイトルのものです。四ツ家町都営住宅入口と記された看板を背景に冠水した道路上で立ち往生しているトラックに搭載された荷物をボートに移し替えている様子が写された写真です。もちろんこれはなんてことはないどの家庭でも見られるごく普通の光景なわけですが、注目すべき点はトラックでもボートでも無く、もちろん荷物を移し替える男たちがたくし上げたズボンでもありません。

何と、この写真には「足立区四ツ家町」という町名が記された琺瑯看板の存在が確認できるのです。解像度的に鮮明ではないのが残念でなりませんが縦書きの「四ツ家町」が目に入ることでしょう。とても貴重なこの琺瑯看板、これがもし今でも残っていたらどれだけ素敵なことでしょう。是非足立区で保存しておいてほしいものです。

そのようなことを考えたり考えなかったりしつつ元号も変わりコロナも流行り月日が流れました。

 

そして、その縦書きの「四ツ家町」の町名看板がこちらになります。

 

そう、残っていたのです。

 

厳密にいうと記された地番的に別看板のようですが、この縦書きの存在感と控えめに横書きの足立区、ほぼ同タイプと言っても良いのではないでしょうか。あとは、この素材が琺瑯かそうでないかは検証が必要でしょう。いずれにしても貴重な旧町名看板が令和のこの時代にも残っていたことが驚きでなりません。あとは足立区に保護保存していただくだけです。

 

あと、釈迦に説法ですが四ツ家町の現町名の一つ「青井」の由来は、四ツ家町のさらに旧町名である「綾瀬村大字次郎衛門新田小字精出耕地」のうちの「精+耕」の右側です。

[発見日:令和4年1月22日]

【足立区】五反野北町

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【消滅した年】1966(昭和41)年

【現在の町名】青井、弘道

【感想・雑記】五反野南町があるなら、もちろん北町もあるわけです。ただし五反野という町名自体は現在は存在しません。北町は上記の青井と弘道、南町も足立と西綾瀬という町名に変わってしまいました。五反野という名前は駅名が有名ですが、平成25年までは南町の方に五反野小学校が存在していました。現在は近隣の小学校との統廃合で足立小学校と名前を変えています。

 

ところで、五反野の由来はさておき反を広さの単位と捉えた場合、五反野は「五反の野原」なわけですが、果たしてどのくらいの広さをイメージすれば良いのでしょうか。

 

一反は300坪・およそ991.74㎡ですので、その五倍となると五反は何と4,958.38㎡!つまり五反野を一つの単位と仮定した場合、1五反野あたり4,958.38㎡なのです!ここに新しい単位が誕生しました。明日から、4,958.38㎡は1五反野と覚えましょう。

 

とは言うものの、いきなり1五反野の広さのイメージがつかないことでしょう。

そこで、五反野駅青井駅および旧五反野北町・五反野南町エリアにある主な施設等が何五反野あるか換算してみました。

 

・サミット五反野店:3,306㎡=約0.6五反野

・足立小学校:8,693㎡=約2五反野

西友青井店:3,279㎡=約0.6五反野

・青和ばら公園:1,970㎡=約0.4五反野

五反野コミュニティ公園:7,130.39㎡=約1.4五反野

・青和コミュニティ公園:5,314㎡=約1五反野

 

是非参考にしていただくと共に、1五反野はちょうど青和コミュニティ公園相当と覚えてください。

 

9cm.hateblo.jp

発見日:令和4年1月22日]