【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】青井、弘道
【感想・雑記】足立区立郷土博物館のホームページでは、昔の足立区の情景を写した写真を自由に閲覧できるコンテンツがあります。花畑地区にあった牧場や伊興地区での稲刈りの様子、梅島地区の区画整理の様子などなど、昭和の足立区の日常に触れられる大変有益な資料がふんだんに用意されているわけですが、街中が冠水している様子を捉えた写真がやたら充実している点が特にポイントでしょう。
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各種冠水写真の中で一際目を引いたのが「冠水した四ツ家町」というタイトルのものです。四ツ家町都営住宅入口と記された看板を背景に冠水した道路上で立ち往生しているトラックに搭載された荷物をボートに移し替えている様子が写された写真です。もちろんこれはなんてことはないどの家庭でも見られるごく普通の光景なわけですが、注目すべき点はトラックでもボートでも無く、もちろん荷物を移し替える男たちがたくし上げたズボンでもありません。
何と、この写真には「足立区四ツ家町」という町名が記された琺瑯看板の存在が確認できるのです。解像度的に鮮明ではないのが残念でなりませんが縦書きの「四ツ家町」が目に入ることでしょう。とても貴重なこの琺瑯看板、これがもし今でも残っていたらどれだけ素敵なことでしょう。是非足立区で保存しておいてほしいものです。
そのようなことを考えたり考えなかったりしつつ元号も変わりコロナも流行り月日が流れました。
そして、その縦書きの「四ツ家町」の町名看板がこちらになります。
そう、残っていたのです。
厳密にいうと記された地番的に別看板のようですが、この縦書きの存在感と控えめに横書きの足立区、ほぼ同タイプと言っても良いのではないでしょうか。あとは、この素材が琺瑯かそうでないかは検証が必要でしょう。いずれにしても貴重な旧町名看板が令和のこの時代にも残っていたことが驚きでなりません。あとは足立区に保護保存していただくだけです。
あと、釈迦に説法ですが四ツ家町の現町名の一つ「青井」の由来は、四ツ家町のさらに旧町名である「綾瀬村大字次郎衛門新田小字精出耕地」のうちの「精+耕」の右側です。
[発見日:令和4年1月22日]