旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【麻布區】谷町

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【消滅した年】1947(昭和22)年
【現在の町名】麻布谷町→六本木
【感想・雑記】あの「超芸術トマソン」の表紙を飾る銭湯の煙突とそこから見下ろした街並みは、この麻布谷町が舞台だったようです。あの銭湯もあの街並みも再開発の波に飲まれ今では存在しません。現在のアークヒルズの場所です。麻布谷町という町名は昭和42年にいち早く消滅してしまいましたが、現在首都高の谷町ジャンクションとして名が残されています。

そんな麻布谷町は昭和22年以前まで麻布区谷町という町名でしたが、その当時の貴重な旧町名がなんと現在も生存しています。それがこの琺瑯看板です。トウランプの広告が描かれているこのめっちゃ貴重な琺瑯看板は、赤坂にある居酒屋「丸重」さんの店内に飾ってあります。

丸重さんがある場所は港区赤坂で旧赤坂福吉町さらには旧赤坂区福吉町ですが、この琺瑯看板に書かれているのは麻布区。福吉町と谷町自体は目と鼻の先の位置関係であるものの、何故別の区の別の町名の琺瑯看板がここにあるのでしょうか。お店の方に話を伺うと、発祥の地が谷町だったそうです。このめっさ貴重な琺瑯看板、店内保存のおかげで盗まれることも劣化することもなく今なお現存しつづけています。本当にありがとうございます。

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壁のパーマン2号に癒されました。

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食後のデザートのみかんにも癒されました。

 

ランチは火〜金の11:30〜15:00、夜は17時〜20時で現在は前日までの予約制とのことです。

お店のTwitterでその日のランチメニューを見ることができますので、ご確認のうえご来店されてください。

@marujhuakasaka

 

[発見日:平成28年12月6日]

【大田区】調布千鳥町

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【消滅した年】1968(昭和43)年

【現在の町名】千鳥、久が原、南久が原

【町名の由来】このあたりの久ヶ原台地が千鳥が羽を広げて飛んでいるような地形から

【感想・雑記】由来である久ヶ原台地の地形が千鳥っぽいかどうかはともかく、この調布千鳥町の旧町域の形が横向きのウルトラセブンに見えなくもない。大森第七中学校がちょうどアイスラッガーっぽい部分なんです。お手元の地図をご確認ください。

調布千鳥町のうち「千鳥町」は東急池上線の駅名になっていますが、開業から昭和10年までは「慶大グラウンド前駅」という駅名だったようです。お手元の地図をご確認ください。

東急多摩川線武蔵新田駅北側にある千鳥二丁目にやたら整然とした区画がありますがこちらがその慶應大学新田運動場があった場所です。その後慶應大学の新校舎が日吉に設置されたことで運動場も日吉に移転となり、この土地が同潤会に売却されました。同潤会昭和14年ごろに調布千鳥町住宅という近隣の工場地帯の勤め人向け住宅として分譲されたそうで、整然とした区画はその名残というわけです。お手元の地図をご確認ください。

[発見日:令和3年5月30日]

【足立区】蒲原町

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【消滅した年】1965(昭和40)年

【現在の町名】東和

【町名の由来】蒲(ガマ)が繁茂していた原

【感想・雑記】足立区ホームページに蒲原町の由来が記されています。文字通り「蒲(ガマ)」の繁茂地であったことが由来で、蒲原新田という地名だったようです。由来のとおり、東京時層地図でこの地域を見ても、昭和30年代は一部人家はありつつほぼ畑というような状況が伺えます。昭和35年にプレーンの蒲原町の一部が蒲原町◯丁目と形を変え、その5年後に蒲原町全部が消滅という道を辿っています。人家が少ない頃の蒲原町が貴重なのか、僅か5年間のみ存在した蒲原町◯丁目が貴重なのか、評価が分かれることでしょう。

由来である「蒲(ガマ)」についてはWikipedia大先生などに聞いてもらえれば画像などを見ることができますが、現在利用されている様々な名詞の元ネタであることを初めて知りました。

例えば「布団」。元々は「蒲団」で確かに蒲ってますね。蒲の葉を丸く編んで平にした敷物だったとか。

「かまぼこ」もそうです。「蒲鉾」、確かにこれも蒲ってますね。蒲鉾は元々はちくわのような形状のものを指していたようですが、形が蒲の穂とそっくり。蒲の影響力すごいな。蒲田が「カマタ」だから読み方も含めて知らなかった。

読み方といえば「蒲原町」。「カマハラ」だと思いますよね?違うんです。「カバハラ」でも「ガマハラ」でも無いんです。「カバラ」です。読めるか!

今まで10数年「カマハラ」だと思ってカマハラを探していたんですが、そりゃあ見つかるわけがない。だって「カバラ」だもの。最近正しい読み方を知りましたが、知った矢先に見つけることができました。

 

[発見日:令和3年10月16日]

【北区】中里町

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【消滅した年】1976(昭和51)年

【現在の町名】中里、上中里

【町名の由来】条里制の中心の「里」

【感想・雑記】貝塚の町・中里です。中里が滝野川町の大字時代には「内貝塚」や「貝塚向」などの小字が存在していた程度には貝塚の町です。貝塚以外にも、福島市民や高校野球ファンであれば一瞬反応しそうな「聖学院」、山手線唯一の踏切「第二中里踏切」などの見所満載です。特に、踏切は廃止が決定しているようですので、是非お早めに中里にお越しくださいと言いたいところですが、最寄駅は上中里ではなくどちらかといえば駒込かもしれませんのでご注意ください。 

[発見日:平成23年820日

【足立区】柳原町

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【消滅した年】1962(昭和37)年※
【現在の町名】柳原

【町名の由来】柳樹の多い原

【感想・雑記】北千住駅の東側にある地図上で道路が円形にクリッとしているあのエリアです。牛田駅から北千住駅に向かう途中の線路に負けないくらい元水路の道路がクリッとしているあそこが現在の柳原、旧柳原町です。

柳原町を語る上で欠かせないのが町域の東側にある荒川です。まず何故消滅年の米印があるのか。これは足立区の荒川沿いに見られる特有の現象ですが、平成初期まで河川敷だけに町名が残っているという残尿感みたいなやつです。平成元年まであったそうよ。

荒川関係の話としてもう一つ挙げられるのが、柳原町はもともと葛飾区柳原町だったという点です。大東京市35區が誕生した1932年に葛飾区成立時点では柳原町が葛飾区に属していたことは、昔の地図でも確認することができます。ですが、その僅か2年後の1934年に足立区に編入されるのです。荒川放水路が誕生する前の1930年までは足立区と葛飾区は陸続きでしたので葛飾区誕生後、物理的に飛び地状態がことが好ましくないと判断されたのでしょうが。確かに、足立区は竹の塚とか舎人とか好き放題飛び地っているイメージがあるので飛び地を受け入れる土壌が足立区にあったと判断された結果の編入だったかもしれませんがそんなことはないです。

[発見日:平成31年1月12日]

【江東区】深川平久町

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】木場

【町名の由来】平富町+久右衛門町

【感想・雑記】読むのです。心で読むのです。上から「東区」と「深」の文字を捉えるのです。そして「深」から1文字分空けて「平」を捉えるのです。読むのです。心で読むのです。

読むのです。へいきゅうと読むのです。ひらひさではないのです。

 

 

いやこれ読めんわ

誰か写真の調整教えてください。

 

[発見日:令和3年2月7日]

【中野区】本町通

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】本町、中央

【町名の由来】

本町=中野町の中央にして且つ政治文化の中心地(中野町字名及地番改正誌より)

【感想・雑記】

青梅街道沿いを挟んで細長く存在していた旧町名です。中野区には「◯◯通」という通り沿いの町名が6つ存在していました。

中野区昭和通

中野区宮園通

中野区本郷通

中野区新山通

中野区栄町通

・中野区本町通

その中でも今回の本町通は、上記由来のとおりかつての自治体としての「町」である中野町の中心であり、現在の中野区の立地的にもほぼ中央に位置します。

旧中野町役場もこの本町通にあったことからも中心地であったことが伺えます。昔の地図を見ると中野町役場の場所が隣の宮前町にあるような気がしないでもないですが気のせいでしょう。

ちなみに中野区本町の隣には渋谷区本町がありますが、こちらは「ほんちょう」あちらは「ほんまち」です。あちらの本町はもともとが幡ヶ谷本町=「ほんまち」で、町名地番整理によって一旦本町「ほんちょう」からの本町「ほんまち」に戻ったそうです。

なお、東京23区内には他にも様々な「本町」が存在していますが、彼らの読み方は「渋谷型(ほんまち)」「中野型(ほんちょう)」のどちらでしょうか。調査結果は以下の通りです。

・足立区西新井本町(ほんまち)

・足立区中央本町(ほんちょう)

・足立区古千谷本町(ほんちょう)

・足立区伊興本町(ほんちょう)

大田区大森本町(ほんちょう)

大田区田園調布本町(ほんちょう)

大田区蒲田本町(ほんちょう)

・北区王子本町(ほんちょう)

・豊島区池袋本町(ほんちょう)

・目黒区目黒本町(ほんちょう)

中央区日本橋本町(ほん・ほんちょう)

 

本町関連は合計11つ存在していましたが、渋谷型はなんと僅か1!ほぼ全てが中野型だったのです。仮に渋谷区本町の読み方を戻さなかったとしたら、「ほんまち」はあやうく西新井本町だけになるところでした。ありがとう渋谷区。

とはいえサンプル数が11では心許ないため、本町成分の強い町名が他にないか調べたところ、なんとかギリ本町が3つありました。しかしながらいずれも中野型。渋谷型にとってはなんとも寂しい結果となりました。

・新宿区市谷本村町(ほん・ちょう)

・新宿区四谷本塩町(ほん・ちょう)

中央区日本橋本石町(ほん・ほんちょう)

 

皆様におかれましては、今後街中で本町を見かけたらたまにはほんまちと読んでやってください。

[発見日:平成19年6月30日]