【消滅した年】1962(昭和37)年※
【現在の町名】柳原
【町名の由来】柳樹の多い原
【感想・雑記】北千住駅の東側にある地図上で道路が円形にクリッとしているあのエリアです。牛田駅から北千住駅に向かう途中の線路に負けないくらい元水路の道路がクリッとしているあそこが現在の柳原、旧柳原町です。
柳原町を語る上で欠かせないのが町域の東側にある荒川です。まず何故消滅年の米印があるのか。これは足立区の荒川沿いに見られる特有の現象ですが、平成初期まで河川敷だけに町名が残っているという残尿感みたいなやつです。平成元年まであったそうよ。
荒川関係の話としてもう一つ挙げられるのが、柳原町はもともと葛飾区柳原町だったという点です。大東京市35區が誕生した1932年に葛飾区成立時点では柳原町が葛飾区に属していたことは、昔の地図でも確認することができます。ですが、その僅か2年後の1934年に足立区に編入されるのです。荒川放水路が誕生する前の1930年までは足立区と葛飾区は陸続きでしたので葛飾区誕生後、物理的に飛び地状態がことが好ましくないと判断されたのでしょうが。確かに、足立区は竹の塚とか舎人とか好き放題飛び地っているイメージがあるので飛び地を受け入れる土壌が足立区にあったと判断された結果の編入だったかもしれませんがそんなことはないです。
[発見日:平成31年1月12日]