旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【品川区】東中延

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【消滅した年】1965(昭和40)年
【現在の町名】中延、東中延
【感想・雑記】これを消滅扱いにしていいのかどうか議論があるかもしれませんが、東中延は現在も存在する町名です。ただし住居表示実施前は1〜4丁目で、住居表示実施後は1〜2丁目と丁目が半減してしまっています。つまり東中延3丁目、4丁目に限ってのみ消滅した旧町名なのです。故に4まで残しているのです。
なので今回は旧町名ということにして見逃してくれんか。もしこの方法でも旧町名ということにしてくれたら今度は東中延3丁目も西中延5丁目とかも連れてくるからさ。そもそも中延ってなかのべなのかなかのぶなのかなかのびなのか未だに読み方もあやふやなことだし、ここはひとつ旧町名ということでお願いできんかね。
[発見日:令和2年7月26日]

【麻布區】笄町

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【消滅した年】1947(昭和22)年→1967(昭和42)年
【現在の町名】麻布笄町→西麻布
【感想・雑記】まず以下の何とも青臭い10年前の記事は、麻布笄町の由来やら読み方やらを紹介したものですのでお時間がありましたらご確認ください。
【港区】麻布笄町 - 旧町名をさがす会

この麻布笄町の前身が今回の麻布區笄町です。西麻布という都会のど真ん中には今でも戦前の名残がこうしてひっそりと残っているんですね。

最近既に見つけたやつのバージョン違い的なものを紹介する水傘を増すような手に出ていますが、これはストック事情によるものです。

[発見日:平成30年12月9日]

【世田谷区】三軒茶屋町

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【消滅した年】1968(昭和43)年
【現在の町名】三軒茶屋
【感想・雑記】世田谷区はあらかた探し終えていたところですが、三軒茶屋町だけが発見できていませんでした。しかし、東京時層地図で確認していた三軒茶屋町の町域を見誤っており全く未開のエリアがあったのです。そのエリアへ改めて訪れて無事現存が確認できました。

世田谷区自治会ホームページによると、町名の由来はそのまんま江戸時代に信楽・角屋・田中屋という三軒の茶屋があったことによるそうですが、正式な町名になったのは世田谷区が誕生したタイミングからなのだそうです。

この由来となった三軒の茶屋は今も残っているのかという疑問は多くの方が持たれる様で、デイリーポータルzの記事で既に紹介されていましたので、検索の上ご確認ください。

[発見日:令和2年7月24日]

【国分寺市】戸倉新田

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【消滅した年】?
【現在の町名】国分寺市内藤?戸倉?
【感想・雑記】新田っていうこの響き、旧町名っぽくていいですよね。開墾されてできた街という歴史が感じられる様が良いですね。
戸倉新田という名前は1889年までは村名で、周辺のいくつかの村が合併して神奈川県北多摩郡国分寺村になったそうです。東京じゃなくて神奈川県!

ただし、現町名に?を付けているとおり少々不可解な現象が起きている事に今気がつきました。
こちらの旧町名を発見したのは間違いなく現在の国分寺市内藤です。ですが内藤の旧町名はおそらく「国分寺市内藤新田」で、実は本来この内藤新田を探しに行っていた様なところがありましたので、戸倉新田が出てきた事に違和感を覚えた記憶はあります。

そして、この戸倉新田という名前の村があった場所は今の国分寺市戸倉なのです。地図で見ていただければお分かりかと思いますが、この国分寺市戸倉は内藤とは全く別の場所に存在しているのです。なので、現町名と消滅年などの正確な情報を持ち合わせていないため今回の片手落ちの記載となりました。

[発見日:令和元年11月9日]

【台東区】浅草小島町

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【消滅した年】1964(昭和39)年
【現在の町名】小島
【感想・雑記】以前浅草區小島町を取り上げた際に、「現小島の旧町名は台東区浅草小島町ですが、実はあまりお目にかかったことが無かったりします。」という記述をしていました。その後も何度かさがしていましたが平成を超えて令和に入ってようやく現存を確認することができました。
【浅草區】小島町 - 旧町名をさがす会

逆に浅草區小島町は同様の琺瑯のやつを3カ所で発見していましたが、現在は2カ所に減ってしまいました。

小島の由来は地形から。土地が島のようになっていたから小島だとか。

[発見日:令和2年3月1日]

【江東区】深川木場

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】木場
【感想・雑記】以前Twitterで現存を教えていただいたので、現地に確認に行こうとしていた道の途中でもう一つの現存を確認できましたというお話です。

元禄14年・1701年に江戸の材木商に対して材木置き場としてこの地域の用地が払下げられ、その2年後に木場町という名前が誕生したそうです。

材木商らは土手と堀を築き貯木場を設けたことで材木問屋の町として栄えましたが、昭和に入り新木場ができたことでこの地にあった堀は埋め立てられ今は木場公園となっています。

東京に来て間もない頃、新木場で行われているプロレスイベントに行こうとして下車したのがなぜか木場駅だったという良い思い出の詰まった街です。

[発見日:令和2年6月21日]

【福島県郡山市】喜久田町字上田向

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【消滅した年】2018(平成30)年
【現在の町名】郡山市八山田西
【感想・雑記】前回の富田東もそうですが、住居表示の実施ではなく、土地区画整理事業による町名変更だったんですね。

それと前回の富田町字上田向と場所はそれほど離れてはいないのですが同じ字名です。

喜久田町も富田町も元々は独立した自治体名で郡山市編入されました。なぜか手元にある1951年の福島県市町村年鑑によると、当時の喜久田村は人口4773人に対し富田村は4821人、ヤギが喜久田村35頭に対し富田村か6頭という隣接同士大変拮抗していたのが読み取れます。

[発見日:令和元年12月29日]