旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【練馬区】土支田町


【消滅した年】1975(昭和50)年
【現在の町名】土支田
【感想・雑記】まず読めませんでした。「どしだ」ですって。大江戸線の終点である光が丘駅が一応の最寄駅になります。埼玉寄りの方は未だに農家然とした家々が軒を連ねているような地域です。範囲が広いのによく見つかったと思います。

大江戸線の一応の終点と申し上げたのは、どうやらこの大江戸線には大泉学園までの延伸計画されているそうで、この土支田にも新駅が作られる予定があるのだとか。土支田ゲートウェイ駅なんていいんじゃないでしょうか。

[発見日:平成30年10月14日]

【墨田区】千歳町


【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】千歳
【感想・雑記】墨田区の南端、江東区との境目に位置する現在の墨田区千歳の旧町名が千歳町でした。とある企業のビルに1件だけ旧町名のものが残されていました。町の有無だけの違いと思われるでしょうけど、このたかが1文字の違いにどれだけ一喜一憂してきたことか。

正直探す上ではもちろん新旧全く異なる町名であった方が俄然探し甲斐があるわけで、そのような旧町名を探すことを優先してきた結果、町の有無しか違いのない面白みの薄い旧町名が後回しになってしまっていることは否めません。ただでさえ更新頻度が鈍いこのブログでも最近そのような旧町名の紹介ばかりになっています。

ですが、ふと冷静になって、この「町」という1文字、今の町名から消えてしまったこのたった1文字を眺めていると、たかが1文字にはおよそ50余年の歴史とその地域で暮らす方の思いが詰まっているということを認識しはじめました。町の有無だけのあまり面白みのない旧町名であっても立派な旧町名です。

もちろん、墨田区千歳町のさらに旧町名の「御船蔵前町」とか「深川安宅町」とかが残っていたりした方がテンションあがりますけど。でも町の有無だけであっても旧町名なのです。

[発見日:平成30年6月17日]

【板橋区】練馬貫井町


【消滅した年】1947(昭和22)年→1965(昭和40)年
【現在の町名】練馬区貫井町→練馬区貫井
【感想・雑記】板橋区練馬南町板橋区下石神井に続き、練馬区内に残る板橋区の3例目が発見されました!!しかも今月に入って2例。

練馬区板橋区に対して独立宣言を行って今年で71年目ですが、練馬区板橋区だったということが事実ではなくファンタジーの類だと思っている人もいることでしょう。これから練馬区を担う子供達に正しい練馬区のあり方を考えてもらうためにも、この練馬区に残る板橋区を是非生きる教材として採用していただきたいです。

貫井の由来は、弘法大師が水不足に苦しむこの地域の人を見て持っていた杖で大地を突いたら泉が湧き出たことだそうです。ファンタジーか。

[発見日:平成30年10月27日]

【大森區】上池上町


【消滅した年】1968(昭和43)年
【現在の町名】上池台
【感想・雑記】大森區が残っていました。大森區の話題になると必ず大田区は大森區+蒲田區の合成なのよという話を口が臭くなるくらい話してきたような気がします。心の中で。大田区の誕生は戦後間もなくの昭和22年なのですが、この大森區は比較的残っているように思えます。問題は蒲田區ですが、私が見た範囲では現存しているのはこの蒲田區町屋町の1件のみです。

比較的現存しているよねと簡単に言ってしまってますが、70年以上前からこの地に残り続けているわけですからもっと価値あるものとして捉えるべきだと思います。幸いなことに、この「大森區上池上町」というものは同じエリア内に数件現存しているわけですので、あえて保存しているのではないかと考えられます。歴史的な価値があるはずなのに一般的にはどうやら全然そうではなく吹けば飛びそうなこの旧町名。とてもありがたいことです。

大森洗足池の上にあるという位置からこの町名が付けられていると思われます。

[発見日:平成30年6月10日]

【台東区】浅草柳橋


【消滅した年】1964(昭和39)年
【現在の町名】柳橋
【感想・雑記】柳原土手に掛かる橋の名前が柳橋柳橋という名前になる前は川口出口橋という名前だったんだとか。神田川下流だから川口の出口というそのまま。

柳橋という町名が誕生したのは昭和に入ってからで、昭和9年に下平右衛門町、新森田町、新片町、旅籠町、瓦町、須賀町、御蔵片町のそれぞれ一部が合併して誕生しています。何その概ねかっこいい町名たち。そっちの方がいいじゃんか。瓦町って。河原町でも川原町でもなく瓦ですよ。

そんな柳橋ですが、かつての一大花街だったわけですがすっかりひっそりとしてしまっています。確かに当時を偲ばせるような料亭は数軒見受けられますが、その点在加減がさみしさを際立たせている節があります。

さみしさを噛み締めつつも過去にこのエリアは何度も何度も探しに訪れているはずなのですが一切見つからなかったんです。しっかり1点に現存していました。

[発見日:平成30年6月17日]

【江戸川区】新田


【消滅した年】1983(昭和58)年
【現在の町名】西葛西、中葛西、清新町、臨海町
【感想・雑記】「にった」にあらず「しんでん」です。この新田というのは、江戸に幕府が開かれて以来近郊の川にそった耕地の開拓、開墾が奨励されていて、今の江戸川区葛飾区、足立区には多くの「新田」という地名が生まれました。宇喜多や一之江という地名も元々はその後ろに新田とついていました。この新田の前に付いたのがその土地の開墾した者の名です。今回の新田は佐久間八郎右衛門という人が関わっているらしく、現在15代目と言われているほどの名家で、そのお屋敷は町内に観光案内的に場所の表示が掲示されているほどでした。

[発見日:平成30年8月12日]

【練馬区】高松町


【消滅した年】1969(昭和44)年
【現在の町名】高松
【感想・雑記】住居表示実施前は2丁目までしかなかった高松町ですが、住居表示実施後は6丁目までという大層広域の町に変貌を遂げています。

この高松という名前は、高松村とかの流れではなく上練馬村の小字からきており、高松、東高松、中高松、西高松、南高松、前高松など、香川県でもここまでにないくらいのオール高松っぷりだったのです。そしてこんだけ高松高松言っているのに、なぜか北だけないという。ただし、この高松たちは旧高松町1丁目の話で、旧2丁目の小字はというと、大門、大門山、大門附、北高松などこちらは大門推し。そして何故か北高松だけ旧2丁目側なんですね。


高松の由来は高い松があったことによるものなのですが、肝心のその松がどこにあったのかはわかっていないのだとか。

[発見日:平成30年10月14日]