旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【大田区】馬込町東


【消滅した年】1965(昭和40)年
【現在の町名】南馬込、東馬込、西馬込、中馬込、山王
【感想・雑記】旧町名ってほとんどが、「◯◯町」というように「町」で言葉として〆られるはずなんですが、町で終わらずどこか余韻を感じさせるのが今回の馬込町シリーズです。馬込町西はすでにご紹介済みでしたが、なぜか東の方はさがしていなく今日に至っていました。その原因が起伏の激しさ。特にこのエリアは最寄駅から遠いわけなので自転車は必須ですので、それ故の敬遠が今日までの体たらくなわけです。わたしと同じような理由でぐずついていた歴史の偉人が存在しています。江戸城を築城した、あの太田道灌です。
道灌は当時、築城する土地をあれこれさがしていたときにこのあたりも候補地としていたそうです。ですがその高低差甚だしいことを理由に諦めたそうですが、もしかしたら巡り巡ってここが皇居になっていた可能性も0ではなかったかもしれません。道灌の心を折るほどのあの高低差は、現地で体感して初めてなるほどと思えるのかもしれません。確かに道灌の言う通り。この日も大森駅から山王経由で現地に入りましたがほぼ下りっぱなしだったような気がします。そりゃそうですよ、かつての小字が「宮の下谷」に始まり「根小谷」「中井谷」「中丸谷」「越塚谷」「堂寺谷」「後谷」の谷シリーズに「北窪」、高い土地の代名詞みたいな「台」の入った「上台」、さらに谷と窪どっちも入った「東谷窪」など、道灌の気持ちが痛いほどに伝わる地名の数々。その他俗称として九十九谷とか十三谷とかとも言われていたそうです。

そのような前提を踏まえた旧町名さがしだったわけですけれども、そんな土地を延々さがし続けたくないじゃないですか。当日の目標は「平地で済ます」これだけです。ですが結果ぐずぐずだらだらとほぼ全域回ってしまいもちろん平地では済むことなどありえません。全域回っても見つからずスタート地点に戻ったのちにそのすぐ近くの空き家にしっかりと残されていましたとさ。起伏全然関係なかった。

[発見日:平成30年3月18日]