旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【世田谷區】成城町

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【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】成城
【感想・雑記】その昔まだ平成の頃どこかで成城町を見かけて写真撮っていたと記憶していたけど、區のやつを見つけたこのタイミングでの紹介です。

區ということはもしかしたらですが東京市時代のものであることを期待したいところです。

由来はまさに成城学園です。元々砧村大字喜多見の地に成城学園住宅地として区画整理され大字喜多見成城となったのが昭和5年。その6年後の昭和11年には東京市世田谷區に編入され成城町となりました。あれ、もしかしたら大字喜多見成城のやつが残っているんじゃね?

[発見日:令和2年1月24日]

【江東区】深川毛利町

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【消滅した年】1968(昭和43)年
【現在の町名】毛利
【感想・雑記】旧町名さがしを始めた初期の頃に錦糸町、深川住吉町の流れで息巻いて探したものの見つからず、その約10年後にふらっと通りかかったときにあっさり見つかったという、人生の儚さ学んだ旧町名です。由来は江戸時代に毛利藤左衛門が開発した毛利新田から。

全国的に町名の復活運動があったりなかったりの今日この頃ですが、この「毛利町」も実は一旦消滅して復活したという歴史があるようです。

明治に一度深川本村町という町名に編入され消滅しその43年後に復活したもののさらにその34年後に消滅し現在の毛利となりました。何と儚い旧町名か。人生の儚さは毛利町から学びました。
[発見日:令和2年6月7日]

【南多摩郡】多摩村大字一の宮字下向田

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【消滅した年】1964(昭和39)年→1971(昭和46)年
【現在の町名】多摩町→多摩市
【感想・雑記】村に大字に小字!大変貴重な完全体が残っていました。多摩町は割と多く残されていた様に感じましたが、村当時のものとなると流石に一つ二つという現状です。あえて残していただいているのであれば、すっかり都市化が進んだ街中に村が残っている不思議な空間を見せていただきありがたいです。

ここからは主にwikiです。
大字の一の宮は多摩村の前身である8村の一つの一の宮村で、小字の下向田の由来は前田という字の向かい側の下ということにようやくたどり着きました。

[発見日:令和2年2月24日]

【北区】岩渕町

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【消滅した年】1971(昭和46)年→2007(平成19)年
【現在の町名】1丁目は現存→岩淵町、2丁目は赤羽、赤羽南
【感想・雑記】
今回は2つの旧町名が存在しているというお話です。

まず前提として北区岩淵町という町名は現在も存在しています。

あれ?旧町名じゃないのに取り上げていいの?という疑問を持たれると思いますが、かつて北区岩淵町は1丁目と2丁目が存在していましたが、住居表示の実施によって岩淵町2丁目が消滅し赤羽、赤羽南に変わりました。
つまり岩淵町2丁目だけが旧町名ということになりますので全然取り上げて良いのです。今回写真で2まで残している意味はそこにありました。

一方で、岩淵町1丁目も住居表示は実施されるのですが、歴史ある岩淵という地名を消してなるものかという地域住民の方々の8年にも及ぶ反対運動によって赤羽ではなく、丁目の無い岩淵町に変更、実質そのままの形で残ることになるのです。

これが1つ目の旧町名のお話。


ではもう一つの旧町名とは?ですが、今回ご紹介している写真の文字と現存している町名の文字。何かが違くないですか?

前者が「岩渕町」で後者が「岩淵町」。この微妙な違い、実は単なる誤字ではないある事情があったのです。

北区のホームページによると、本来「岩淵町」が正式であるところ、戸籍(本籍)附票及び住民票の表示で「岩渕町」が使用されている不一致が存在していたとのことでした。そのため平成19年11月3日を以って「岩淵町」に文字の統一化が図られた訳です。

つまり、非公式とはいえ「岩渕町」という町名が今回の写真のように存在していた事実がある。そして岩淵町に統一化されたということは岩渕町という町名が消滅した。岩渕町は紛れもなく立派な旧町名であるといえるでしょう。
これがもう一つの旧町名です。

今回は岩淵町には2丁目と岩渕町という2つの旧町名が存在するというお話でした。

今後は、現岩淵町のどこかにあるはずの「岩渕町1丁目」という旧町名をさがしてみたいと思います。


北区ホームページ
北区の現在の町名について|東京都北区

[発見日:令和2年3月1日]

【大田区】大森

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【消滅した年】1969(昭和44)年
【現在の町名】大森本町、大森北、大森東、大森西、大森南、大森中、蒲田
【感想・雑記】駅名などで今でも普通に用いられている大森が実は旧町名だったのです。今の町名は大森+方角どころか、本町やら中やら、現町名にありがちな要素を乗せるだけ乗せた結果のカオスが見受けられます。

大森は、大きな森があったことが由来という説があり、鎌倉時代の文献には「大杜」と記されているようです。

そして大田区にはかつて大森の対義語のような旧町名が存在していました。

 

その名も 小林町

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[発見日:令和2年1月13日]

【向島區】寺島町

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【消滅した年】1947(昭和22)年→1965(昭和40)年
【現在の町名】墨田区寺島町→墨田区堤通、向島、墨田、東向島、八広、押上
【感想・雑記】墨田区寺島町は今でも割と見かけたりしますが、向島區時代のものも残っていました。

寺島町の由来は墨田区HPに詳しく紹介されていますが、ようはこのあたりの寺が由来っぽいです。という解説を、10年前の墨田区寺島町の記事でも全く同じように行なっていることに今気がつきました。
10年間成長の見られない、もとい変わらない良さが売りのブログです。

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[発見日:令和2年2月23日]

【大森區】新井宿

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【消滅した年】1947(昭和22)年→1965(昭和40)年
【現在の町名】大田区新井宿大田区山王、北馬込、中央
【感想・雑記】 大田区の前「大森區」時代ですので旧旧町名といったところでしょうか。新井宿は六丁目まで存在していたようですが、このうち大森駅近くの一角と四丁目以外は空襲の被害が無かったようで、その結果このような戦前の旧町名が今でも残されているのです。これをありがたいと言わずに何をありがたがればよいのでしょうか。

1889年に新井宿村が隣の不入斗村と合併して入新井村となります。1919年に入新井町となった際の大字名として新井宿となり、1932年の大森區成立の際に新井宿という町名になりました。1947年に蒲田區との合併で大田区が誕生しましたので、今回のはわずか15年間のみ存在した旧町名です。当時の状態のまま令和のこの時代まで残っていただいたことをありがたいと言わずに何をありがたがればよいのでしょうか。ちなみに、大森區新井宿の前の入新井町新井宿も何と現存していますよ!これで大田区新井宿が残っていればと思うところですが、もちろんそれも残っています!これをありがたいといわずに以下略

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[発見日:令和2年1月13日]