旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【中央区】宝町


【消滅した年】1978(昭和53)年
【現在の町名】京橋
【感想・雑記】消滅自体は割と遅めの宝町です。よみかたは「たからちょう」。現在は都営浅草線の駅名に残っています。今回の宝町は、随分昔に発見していた旧町名でしたが今回これを紹介するのはある理由があるとか無いとかですがあるんです。
今日、中央区勝どきのあたりを久しぶりに通りかかり、ふとかつて発見した旧町名の生存状況を確認しに行きました。あいつは今も頑張ってやっているかと。その旧町名は「京橋区月島通」。中央区の前身である「京橋区」というからには戦前もしくは戦後間もなくの貴重な旧町名でした。東京が23区になる前を証明する歴史的資料であるこの旧町名が、消滅していました。

古くから残る重厚な建物も、格調高い門構えも、そして「京橋区月島通11丁目」もすべて消え去り、そこにあるのは駐車場のみでした。
都市は生き物であり姿形は時代とともに変わっていく現実を突きつけられました。
この月島通以外にも、「渋谷区伊達町」、「新宿区淀橋」、「日本橋区本町」が既に建物ごと消滅したそうです。

そして長くなりましたが今回の「中央区宝町」も現在は建物ごと消滅しており、二度と見る事ができません。この旧町名は厳密にいうと、われわれの定義する「旧町名」には該当しません。われわれのいうところの旧町名とは、旧町名を示すその当時のものがその当時のまま現存していることを第一としています。今回のこれは現住所にあえて併記しているものです。このお家の方の何か強い意志、無くなってしまった旧町名に対する哀悼のようなものを感じずにはいられませんでした。この旧町名を発見したのは今からほぼ5年前ですが、発見当時を振り返ると、このお家の周りは全てビル用地として空き地になっていました。最後の1軒までこのお家の方は、建物と土地、そして旧町名を守り続けていたのでしょうか。
今まで私が発見してここで紹介してきた旧町名もいずれこの宝町らと同じく建物ごと消滅してしまいます。消滅する事は致し方ない受け入れるべき事実ですが、私にできることは都内に残る旧町名を一つでも多く発見し記録していくことであると考えると同時に、当時宝町を発見したあとに入った坂内食堂は未だ現存しているであろうと考えます。
[発見日:平成19年4月1日]