旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【京橋區】佃島


【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】佃
【感想・雑記】「月島・佃界隈の旧町名も残すところ佃島と月島西河岸通か・・」曇天の空の下、東京メトロ月島駅を下車した彼はそう呟いた。旧町名探しを始めて約10年余、未だに古い家屋が現存しているこの月島界隈へは幾度と遠征に出かけたものだ。印象深いのは2010年7月。ブログをスタートさせて1ヶ月、毎日順調に更新を続けていた彼に何かがあり数日間だけ更新が停止している期間が存在している。彼曰く一身上の都合というが、それが失恋であったことは容易に想像できよう。当時彼はまだ26歳。肌のハリとツヤの残り香漂う曲がり角。ラウンドアバウトのような年頃の彼が旧町名さがし復帰の場として選んだのがここ月島であった。これ以上失うものがないばかりか、一人の自由な時間を手に入れた彼の活躍は目覚ましく、その日に「月島通」「新佃島西町「月島西仲通」「月島東仲通」「月島東河岸通」を発見するなど破竹の勢いであった。「新佃西町」の発見の際には、今では考えられない「地域の人との交流」などを行っていた。また、その日に発見した「月島通」の表札は「京橋區月島通」だったが今は建物ごと消滅しており、月日の経過の残酷さを見せつけられている今日この頃である。そんな彼ももう32歳。40代に向けた準備の階段を上がるための通過儀礼として向かったのが月島。「佃島」を見つけるために。


それはさておきその後もなんだかんだありましたが、月島駅を下車して5分もかからずして見つけてしまったのです。佃島を。しかも「京橋區」で「琺瑯」。⚪︎丁目とかが無いものですからスペースも広く文字にゆとりがあることあること。そして残りは「月島西河岸通」と思いきや、「新佃島東町」も未発見であることに今気がつきました。

俺たちは、月島佃島を卒業できない。

[発見日:平成28年4月24日]