【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】本駒込
【雑記・感想】ここ最近、文京区・台東区の在庫放出が顕著です。この両区はともに旧町名の数が多く消滅が著しく、且つ旧町名由来看板の設置に熱心であることが共通しています。旧町名さがしを本格的に始めたころは、この両区に加えて、新宿区・渋谷区を頻繁に探し回った記憶があります。ゆえに、まだ紹介していない存在すら忘れていた旧町名が特に文京区・台東区にはまだまだ多数というほどではないものの存在しています。その発掘と紹介の作業が終わった時、もしかしたらこのブログも終わりを迎えるのかもしれません。
駒込片町。この旧町名もお寺の表札に記載されていました。やはりお寺が狙い目なのは間違いありません。駒込シリーズは、肴町以外は全て発見することができていますが、駒込吉祥寺町などは建物ごと無くなっていたような気がします。発見した時点で、建物が「建築計画のお知らせ(いわゆる白紙・死亡宣告書)」が掲示されていましたので、他の駒込シリーズを始め、旧町名自体の存在がなくなりつつあるように思います。
そういえば駒込片町に似たものとして、駒込東片町と駒込西片町があります。西の方は西片というよくわからない不完全な名前で残っていますが、位置関係は別に西・片・東というわけではありません。上(北)から片・東・西と連なっており、片と西は全く接していません。しかしこの駒込片町は、この駒込シリーズの中心というべきものであり駒込というものの発展において重要な旧町名であることがわかりました。『江戸東京残したい地名(本間信治著/自由国民社)』によると、駒込の由来自体は「原野に駒が群がる様子」だとか「高麗人の居住地=高麗籠」だとか「コマ(木々)が+コメ(混んでいる)=密林」だったとか諸説が様々あるそうです。そのよくわからない土地に町奉行の支配町が出来て以来、周辺の町に駒込をつけて広がって発展したといいます。その最初の場所が今回の駒込片町だそうです。なので東・西は、その中心である「片町」を基準として付けられた町名と言えるのではないでしょうか。
[発見日:平成21年12月29日]