旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【南多摩郡多摩町】一ノ宮

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【消滅した年】1971(昭和46)年

【現在の町名】多摩市

【感想・雑記】南多摩郡多摩村と現在の多摩市の間に僅か7年のみ存在したほぼ幻の自治体があったという。それが、多摩ニュータウンの開発着工共に誕生して完成と共に消滅した「多摩町」。前回にその存在を仄めかしたわけですが、今回はそんな地味に貴重な存在を只々みてほしいわけです。そして、多摩町誕生とほぼ同時に多摩ニュータウンが開発され、分譲が開始されたため貴重な自治体名にも関わらず地味に割と残っていたりするんですよね。今回は本当に多摩町というものがあったのよということだけをお伝えしたいのです。

[発見日:令和2年2月24日]

【南多摩郡多摩村】一の宮

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【消滅した年】1964(昭和39)年→1971(昭和46)年

【現在の町名】多摩町→多摩市

【感想・雑記】以前取り上げた多摩村はしっかり「大字」と「小字」の表示があってよかったのですが、それと引き換えに「郡」の表示がありませんでした。

【南多摩郡】多摩村大字一の宮字下向田 - 旧町名をさがす会

今回は「郡」がしっかり刻まれているありがたいです。この郡表示をベースに「大字」「小字」があればそれはもう完全勝利でしょう。

 

そして、多摩村と多摩市の間に挟まれる多摩町が僅か7年間しか存在しないものということに今気がつきました。

なぜこの短期間に村→町→市というクラスチェンジを遂げたかというと、やはり多摩ニュータウンでしょう。多摩町発足後の1965年に多摩ニュータウンの都市計画が決定し、1971年3月には入居開始、そしてその年の11月に市に昇格というこのスピード感。

次回は、そんな時代の転換点であった多摩町時代のものをご紹介します。

[発見日:令和2年2月24日]

【豊多摩郡渋谷町】八幡通

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【消滅した年】1932(昭和7)年→1970(昭和45)年

【現在の町名】渋谷区八幡通→渋谷区渋谷、東、恵比寿西、代官山町、猿楽町、鶯谷

【感想・雑記】渋谷「区」ではなく渋谷「町」です。つまり、渋谷区が誕生する以前の豊多摩郡渋谷町当時のものということになります。さらに渋谷区誕生が昭和7年10月ですので、その僅か7ヶ月前、渋谷町の本当に末期のものであることが分かります。

さて、渋谷区はこの渋谷町のほか代々幡町と千駄ヶ谷町の3町の合併により誕生したわけですが、合併に至るまでどうやらスムーズに事が運ばなかったようです。合併自体、渋谷町以外の2町は立地柄それぞれ別の自治体との合併を望んでいたようですが、同一郡内での合併というルールのせいか、又は何らかの圧力があったのか、結局2町が渋々受け入れて合併が進められたようです。その2町の反応の背景には渋谷町を郊外、田舎、いやもしかしたら未開の地といったような捉え方があったのかもしれません。

さらに合併と共に新しい区名を決める際も揉めに揉めた結果、渋谷町議会議員の圧力により強行的に渋谷区になったとか。えっ?渋谷町は山賊か何かですか。

この顛末はwiki情報を掻い摘んで紹介しましたが、面白いのでwikiを見てみてください。

 

そして、実はこの旧町名は旧八幡通の場所にはありません。旧八幡通から2キロ先の旧赤坂青山南町、青山霊園ないのドラクエに出てきそうな祠に掲げられています。これはこの祠的なやつを建てた人の住所という超レアケースのようです。こういうパターンもあるのね。

[発見日:令和3年8月7日]

【渋谷区】千駄ヶ谷町

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【消滅した年】1968(昭和43)年

【現在の町名】千駄ヶ谷

【町名の由来】駄=馬一頭が背にする荷物の単位。千駄(とにかくたくさん)+ヶ谷(萱)が収穫されたところ。

【感想・雑記】東京に居ながら名古屋を感じられる町名でお馴染みの千駄ヶ谷。元は豊多摩郡千駄ヶ谷町大字千駄ヶ谷で、昭和7年の渋谷区成立によって渋谷区千駄ヶ谷となりました。千駄ヶ谷「町」ではありません。つまり、現在と同じ状態であることから旧町名であるかといえばそうではないのです。

ですが、渋谷の文字の向きと「區」表記である点を踏まえると、この千駄ヶ谷町は、かつての自治体としての「千駄ヶ谷町」当時のものなのではという期待を抱かせてくれます。その期待を込めてみなし旧町名のような形で紹介しました。

[発見日:令和3年3月28日]

【品川区】大井森前町

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【消滅した年】1964(昭和39)年

【現在の町名】西大井

【感想・雑記】森前という位なので何らかの森的な茂みを探してみましたがあるのはニコン。ならばせめて森っぽい何かを探してみましたが西大井駅前にある何らかの跡地に造られた西大井広場公園のみ。その公園の横に目をやると工学通りという不思議な道路が。光学=日本光学工業、ここにもニコン。そして西大井公園広場の場所を昔の地図で確認してしてみたら、ニ、三菱重工

結果、大井森前町には前どころか後ろにも上にも下にも森はありませんでした。あるのはニコンです。もはや大井森前町ではなく大井ニコン前町、いや大井ニコン町そのものでした。ただし、ニコンの本社があるわけではなくあくまでニコン大井製作所ですので大井ニコン本町ではありません。

と、このような感想を知っていたのか、なんと2024年にニコンの本社が大井森前町に戻ってくるとの報道がちょうど先週11月4日にありました。いよいよ大井ニコン本町の誕生です。

なお、ニコンのリリースによるとその新本社はサステナビリティを重視した地域に根ざした環境配慮型オフィスビルとする計画のようです。具体的には日射遮蔽効果に優れた外装デザイン、自然光の導入、自然換気を促す機能、可変風量システム。

 

もはや森!

 

 

ちなみに、「森」は近くにある下神明天祖神社のことっぽいです。

[発見日:令和3年11月13日]

【足立区】辰沼町

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【消滅した年】1976(昭和51)年

【現在の町名】辰沼、谷中、大谷田

【町名の由来】龍に似た沼があった

【感想・雑記】もはや最寄駅という概念が無いような埼玉県にほど近いエリアにあるというかもう実質埼玉みたいな旧町名です。どのくらい埼玉かは地図でご確認いただければと思いますが、すぐそこにある花畑運河の渡った先が埼玉という位置関係なくらいです。辰沼は元は星野彦六という人物が寛永7年の開墾した土合新田という場所が、元禄8年の検地によって辰沼新田と改められたそう。それよりも辰沼新田当時の小字の一つである居廻耕地という名称が気になりすぎる。

[発見日:平成30年2月18日]

【葛飾区】本田篠原町

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【消滅した年】1965(昭和40)年

【現在の町名】四つ木

【町名の由来】篠竹多く密生する原(新編武蔵風土記稿より)

【感想・雑記】お寺の入り口にうっすらと残されている本田篠原町。これを旧町名扱いとしていいものか。ある旧町名を思われる対象物が旧町名であるかどうかを判断する基準としては「旧町名が現町名であった当時から現地にあるものであること」が挙げられます。その現地にあるものを証明するものとしては地番っぽい情報が付加されているかどうかに尽きるわけですが、「町」の後になにやらごにょごにょしているような気がするので旧町名として扱うことにしました。

葛飾区内でかつて幅を利かせていた「本田」の冠を擁していた町名・本田シリーズ。本田は「新田(開発された田)」に対する名称を指しますが、葛飾区の鎌倉や奥戸あたりは新田が付く地名だったそうです。本田とは江戸時代、中川を境に西が本田筋、東が新田筋と分けられたとき以来の俗称で、本田筋の地域がかつての本田シリーズのエリアにあたります。12もあった本田のつく町名たち。あれほどの一大勢力でありながら、何故現在「葛飾区本田」という町名が残らなかったのか。これは葛飾区七不思議の一つであると私の中で言われています。さらに葛飾FMのキャラクターである五厘刈りの彼が実は石崎くんという説も葛飾区七不思議に加えたいところです。残り5つはみなさんで何とかひねり出してみてください。

[発見日:平成23年8月16日]