旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【豊島区】巣鴨

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【消滅した年】1969(昭和44年)及び1970(昭和45)年に住居表示実施(町名としては現存)

【現在の町名】巣鴨、西巣鴨、上池袋、池袋本町、北大塚、南大塚

【感想・雑記】旧町名じゃ無いんかい。

いや、そもそも旧町名とは何でしょうか。どこまでが旧町名でどこからは旧町名ではないのか。この旧町名というものの線引きをどのようにするかはもう個々人の捉え方あるいは気の持ちようまたはその日の体調や天気によるもののような気がします。

現に、この巣鴨という町名自体は消滅していませんし駅名にもありますしおばあちゃんの原宿なわけです。ただし、現在の巣鴨は五丁目まで。住居表示の実施に関する法律第12条の規定に基づき規定された住居表示の実施基準では「丁目の数はおおむね4・5丁目程度に留めることが適当であること」と示されていることに起因する運用と言えるでしょう。

つまり丁目数が異なること、これ即ち旧町名なのです。少なくとも現在存在しない丁目数は旧町名とみなしても良いのでは無いでしょうか。次に看板の素材としてはほぼ利用されていない琺瑯製である点も実に旧町名的ですし、旧町名が消滅した概念という点を踏まえると、広告主が2009年に閉店した池袋三越なのは、これ完全に旧町名です。

 

そんなことより、巣鴨を語る上で欠かせない論点として挙げられるのが「巣鴨はいつまでおばあちゃんの原宿なのか」問題です。

巣鴨が原宿と形容される所以は、まるで原宿かのようにお年寄りが集結しているからでしょう。ですが、彼ら彼女らも若者世代の時から巣鴨に通いつめていたとは思えません。おそらく銀座や有楽町であいましょうだったわけです。巣鴨であいましょうではなかったはずです。それがなぜ年を重ねた結果巣鴨に行き着いたのか。そして、我々の世代や今原宿に行っているような若年世代がおばあちゃんになったときに果たして巣鴨に行くことになるのでしょうか。それとも年齢を重ねても趣味趣向はそのままで巣鴨に行くことなく原宿に行き続けているのでしょうか。もしかしたらおばあちゃんがやたらいる原宿はまるで巣鴨みたいになっていることでしょうね。果たしておばあちゃんの原宿巣鴨か、おばあちゃんの巣鴨・原宿か。

50年後もこのブログが残っていたら、50年後このブログを読んでいるそこのあなた、巣鴨と原宿が今どうなっているか教えてください。

[発見日:平成22年6月5日]