旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【南葛飾郡吾嬬町】東

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【消滅した年】1932(昭和7)年

【現在の町名】墨田区吾嬬町東→墨田区立花ほか

【感想・雑記】自治体名である「吾嬬町」の西と共に僅か2年間しか存在しなかったもうひとつの旧町名が「東」。西も東も現町名みたいな響きではありますが旧町名なのです。渋谷区東とはちがうのです。その大変貴重な旧町名、西も東も奇跡的に現存を確認することができました。ただしぱっと見で完全に単なる木板ですが、心で読むことによって現存していることがわかりました。心で読むのです。

 

さて、この吾嬬町東は、墨田区登録有形文化財・旧小山家住宅の入り口に掲げられています。小山家住宅は、大正6年に建築された古民家で関東大震災東京大空襲も潜りぬけ、開発の波にの負けず築100年以上を経過した今でも生き残り続けています。

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都会のエアポケットのような広大な庭と古民家、平成10年に建物が墨田区に寄贈されるまでは人の生活がここにあったことも驚きです。

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墨田区に寄贈後は立花大正民家園として庭、そして建物の中を見学することができる施設となっています。しかも見学は無料。さらに有料で時間貸しも行なっているようです。

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建物見学の際には、管理人の方に建物の歴史や特徴的な構造などを解説いただけます。構造の説明で特に印象に残っている点は、川の氾濫時に避難する用のボートが玄関上の屋根裏に備え付けられているという話でした。確かに川側という立地と、門を潜る前に階段を下って敷地に入る構造上、常に水害との戦いがあったことが伺えました。

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また、関東大震災東京大空襲も潜り抜けた小山家住宅も、2011年3月11日に発生した東日本大震災では内壁の剥離等多少の被害があったそうです。

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他にも、100年前当時の職人による手作業で作られたガラス模様など一度は生で見ていただきたいものばかりです。

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墨田区にお立ち寄りの際には是非見学に行かれてください。これ絶対入場料取っていいやつだという感想を持つことでしょう。

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なお、吾嬬町の由来である吾嬬神社はこの旧吾嬬町東、現立花に鎮座しています。

[発見日:令和3年2月11日]