【消滅した年】1972(昭和47)年
【現在の町名】赤塚、赤塚新町、高島平、徳丸、成増
【感想・雑記】赤塚という地名の由来はよくわかっていないそうなのですが、江戸時代以前からこの辺りは「赤塚郷6カ村」との総称が小田原役帳で確認できます。上赤塚村、下赤塚村、成増村、四葉村、徳丸村、徳丸脇村の6村です。その後明治に入り、2年間だけ浦和県(埼玉県)だった時期を経て、6村が合併した結果「赤塚村」が誕生したのだとか。今回の下赤塚含め旧6村はそのまま赤塚村の大字として存続し、板橋区編入によって町名として成立されたそうです。
東京時層地図でこのエリアを確認いただければわかりますが、とにかく畑、畑、畑、たまに農家、そして畑。旧町名が現行町名だったであろう当時からの住居が点在しまくっているため徒歩での調査は困難を極めます。一泊二日の合宿でもはらない限り厳しいものがあるでしょう。何せ点在していますから、あたりをつけた一角が不発だったときの虚無感ときたらもう。旧町名さがしは計画的に。
[発見日:平成29年11月3日]