【消滅した年】1971(昭和46)年
【現在の町名】砧、成城、大蔵、祖師谷
【町名の由来】朝廷に貢ぐ布を叩いて柔らかくするための道具「きぬいた」
【感想・雑記】昭和7年に世田谷区が誕生した当初は現在の形とは微妙に異なっていました。というのも、世田谷区の前身となる各自治体の内「砧村」と「千歳村」は世田谷区誕生時点ではそれぞれ北多摩郡のままで世田谷区ではなかったのです。なぜ合流が遅れたのか。その経緯は不明だそうですが、そもそも砧村は元々喜多見村、鎌田村、宇奈根村、岡本村、大蔵村が合併して誕生した自治体ですので、もしかしたらその5村を背負っているプライド的なものが許さなかったのかも知れません。結局、遅れること約4年後の昭和11年に世田谷区に編入され、ようやく現在の世田谷区の形に落ち着いたのです。
編入という屈辱を味わった砧。ですが話はここで終わりません。更なる屈辱が砧を襲います。
何と、この世田谷区編入と同時に「砧」という町名までも消滅してしまうのです。
砧村の前身である5村は町名として残ったのに、砧だけ消滅。これはもう後から合流した責任を取らされたとしか思えません。親が責任を取って消滅することで5つの子供を守った構図でしょうか。
そんなわけで消滅してしまった砧。実はこの砧という文字を用いる町名は全国でここだけという大変貴重な存在だったらしいのです。その損失に世田谷区が気がついたのでしょうか。昭和30年、世田谷区砧町という町名が誕生し、砧という名前が復活を遂げます。この間19年。合流が4年遅れて19年。その長い謹慎期間の甲斐あって、19年前に消滅した砧「村」が復活によって砧「町」、自治体としての町ではありませんが結果として昇格したような形になります。
村から町になった砧、次は世田谷区から独立して砧「市」誕生か。ですがその勢いは続かずまさかの住居表示の実施による「町」の剥奪。つまり、砧町は16年間しか存在しない町名だったようです。
ドラマティックな歴史を辿って今でも町名として存在し続けている砧。もし、昭和7年のあの時に世田谷区に編入していたら。そこには別の物語があったのかもしれません。
[発見日:令和3年11月21日]