【足立区】北堀之内町
【消滅した年】1989(平成元)年
【現在の町名】堀之内、江北ほか
【町名の由来】武士や豪族の館、堀の内側
【町名の由来】消滅がやたら最近ですが荒川土手沿いになぜかちょっとだけで残っていたそうで、実質的には昭和46年頃に江北への変更を以って消滅しているのだそう。それでも旧町名の中では最近まで残っていた方なので、実際このエリアでさがし始めて5分くらいで見つかったような気がします。
それと由来について補足すると、全部ウィキペディア先生曰くなんですが、宮城氏という豪族の屋敷がこの辺りにあったそうで、おそらくそれにも関係があるのだとか。先生は他にも現堀之内には学校が無いだとか、足立区椿という現町名はこの堀之内町の前身である堀之内村の小字名だとか色々な堀之内情報が書かれていたりするのですが、何かちょっとだけでも自分で調べた情報を入れないとコピペを更に薄く伸ばしたようないつものクソブログになってしまうので、他にどんな小字名があったのか調べてお茶を濁すことにしましょう。
留井、椿木、ヒロツラ、八段目、大力耕地、松木耕地、土手外
ちょいちょい普通ではないですね。カタカナもすごいけど八段目って。そういう力士の階級が堀之内場所にはあったでしょうか?数えると今でいう関脇でしょうか。
そんな北堀之内町のご紹介でしたが、もうひとつの南堀之内町は未発見です。みなさんからの安否情報を募集中です。
[発見日:平成28年7月2日]