【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】谷中
【町名の由来】護国院前にあった清水門にちなむ。さらに清水門の由来はこの地に清水が湧いていたから(台東区下町まちしるべより)
【感想・雑記】先日、台東区が旧町名の活用に関する懇談会の報告書を公表しました。資料は、台東区のホームページからご覧いただけますので是非ご確認ください。
http://www.city.taito.lg.jp/index/kusei/abouttaito/kyuchomei/kondankai.html
資料の主旨は、貴重な歴史的文化資源である旧町名をどのように活用していくかというもので、この手のものでよくありがちな「旧町名復活!」というものではない大変建設的かつ前向きな論調のものであり、私の思いと通じるとても素晴らしい報告書となっておりました。
さらに、旧町名の活用に関する様々な方策の中に、表札に残る旧町名の掘り起こしというものも入っており、私のこの10年間の活動が少し報われたような気がしましたが、この区の活動に私が何かしたわけではないので気のせいでしょう。
さてここで旧町名の活用に関して勝手ながら、是非とも旧町名の「表札」の保全と活用を提案いたします。
報告書では、「さりげなくある」状態が旧町名の望ましい活用のあり方であると言及されていました。確かに街区表示板や旧町名案内のような現代の視点で旧町名を掘り起こして啓蒙することも重要な取り組みであると理解しています。その上で「さりげなくある」というあり方に則り、情報量を極力削ぎ落とし且つ旧町名であることの説得力も兼ね備えたツールは何かと考えると、それが「表札」なのです。
旧町名が書かれている表札の「町名」は、今の視点で捉えると旧町名ですが、その表札が作られた当時は旧町名ではなく生きた町名なのです。その「表札」は旧町名を主張しているのではなく、ただ現行町名を主張しているにすぎず「その建物、その地点の住所を表す」だけを目的に作られたものでしかありません。ただそれだけの目的と情報量に、旧町名が現行町名として生きていた当時に作られたものという説得力。そこに住居表示実施によって町名が消滅し「旧町名」化するという付加価値が加わる。「表札」は、旧町名活用のあり方全てを満たす万能ツールと言えるのではないでしょうか。
近年の都心部における地価の上昇の影響で、旧町名の表札を掲げている古い御宅やビルがある日突然取り壊されて姿を消しているという事象が特にここ数年で顕著であると感じています。旧町名ではなく生きた町名であった当時からそこに存在していた表札は、万能ツールであるとともにそのものが史跡であり先人の残したもの言わぬ遺産です。そこに確かに町名が在ったことを今に「さりげなく」伝える旧町名の入った表札を是非保全してもらいたいと、台東区はじめ東京23区に強くお願いしたいです。
[発見日:平成21年12月29日]