【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】東陽1丁目
【町名の由来】元禄に海岸の埋め立てによりこの地が洲崎の原と呼ばれ弁天様を祀ったとされている。
【感想・雑記】写真を見てがっかりされた方が9と、頑張って読んでみた方が1の割合だと思われます。やはり文字の風化は木製表札の宿命ですね。肉眼ではたしかに「深川洲崎弁天町」とさらに「1丁目」まで読みとれましたが写真だと厳しいですね。もはや「読めるはずだ」という思い込みの領域です。どうか思い込んでください。
さて、この洲崎弁天町ですが、言わずと知れた盛り場・遊郭街だった町ですね。明治22年ごろにそれまで本郷の八重樫町あたりにあった根津遊郭がそのまま移転され、昭和33年の売春防止法の施行により営業廃止となるまで非常に栄えた町であったそうです。戦前にはプロ野球の公式戦用の野球場もあったとか。
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[発見日:平成22年12月4日]
[旧町名由来出典:江戸東京残したい地名(著/本間信治)P37]