【消滅した年】1966(昭和41年)
【現在の町名】橋場、清川
【雑記・感想】石の多い浜辺だったことから石浜という地名になったそうですが、江戸時代直前頃から「橋場」といわれるようになったものの地名はそのまま幾度の合併を乗り越え存続していました。昭和7年の大東京市成立頃の大幅な地名の統廃合の折には、浅草玉姫町という美しい響きの町名すら飲み込むほどの生命力を誇っていたものの、住居表示法による大幅な町名変更によってついにその命が尽き果ててしまうことになります。橋場という呼び名によってその地位を脅かされ幾度もの苦難を乗り越えた結末が、その橋場という町名によって断たれてしまった石浜。無念だったことでしょう。
実は町域内にはあの平賀源内の墓があるらしいです。ぜひ石浜供養のついでにお立ち寄りください。
[発見日:平成24年1月4日]