【消滅した年】1976(昭和51)年
【現在の町名】大谷田、東和、中川
【町名の由来】大+谷田(湿地を開拓した水田)
【感想・雑記】現在の「大谷田」に至るまで、様々且つ微妙な変遷を辿っているようです。それがこちら。
(Wikipedia大先生の情報が元ですが、一部間違っているかもしれませんので暫定の情報です。)
(1)誕生〜安定期(1932年〜)
東淵江村大谷田が足立区成立により「足立区大谷田町」が誕生します。ここから戦争を跨ぎ28年間安定した時代を送ります。
(2)分裂期(1960年〜)
28年もの間安定していた大谷田町に土地区画整理に伴う町名変更の波が訪れます。その結果、大谷田町が「大谷田町一〜三丁目」と「大谷田新町一・二丁目」に分裂します。実はこの土地区画整理事業は戦前の1941年に認可されたもので耕地整理法の準用により実施されたようです。つまり、安定していたと思われた28年間のうち半分はこの分裂期に向けた伏線だったのです。
(3)大谷田町消滅開始(1967年)
住居表示の実施によりプレーンの方の大谷田町が先ず消滅が始まります。現在の大谷田一丁目・二丁目部分です。
(4)大谷田新町消滅(1973年)
NEWの方は割と持ちこたえたようですが、こちらも住居表示の実施により消滅し現在の大谷田三丁目・四丁目部分となります。新しいはずが13年で消滅してしまいました。
(5)大谷田町完全消滅(1976年)
わずかに残っていた大谷田町二丁目が「大谷田五丁目」に変更され、ここに大谷田町44年の歴史に終止符が打たれました。
日本プロレスが新日本プロレスと全日本プロレスになったように、第二次UWFがリングス・藤原組・Uインターに分裂したように、大谷田町からは日本のプロレス史に通じる何かを感じます。
ちなみに、今回のこれは丁目無しの地番のみのため、1960年以前の(1)安定期のものと考えられます。
それほど昔のものであることを裏付けるのがこちら。
このような渋い商店街の建物の看板に掲げられていました。精肉にたばこ、そして「ファミコン」の文字まで!
渋すぎる。
こちらこそ!貴重な風景と旧町名を残し続けていただき有難うございました。
[発見日:平成30年2月18日]