【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】南千束
【感想・雑記】千人の僧に食料を供給する農地だから「千僧供」、千束分の稲を産するところでだから「千束」などの由来の諸説があるそうですが、この二つの説を繋げると寺社への供仏田だったのでしょうか。
このエリアの近くにある洗足池の洗足も元々は千束の大池と呼ばれていたそうです。
どうでもいい話ですが人々が青梅と青海を間違えるのと同じように、南千住に行きたいのに気が付いたら南千束だった!どうしよう!という人が年間2〜3人は居ると思います。
[発見日:平成30年11月4日]