旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【豊島區】長崎東町


【消滅した年】1968(昭和43)年
【現在の町名】要町、千川ほか
【感想・雑記】この旧町名がどれだけ貴重なものか、その話からしなければなりません。
豊島区が誕生したのが昭和7年。その7年後の昭和14年に豊島区は町名の整理を実施しています。それが今回の長崎東町を含めた旧長崎町エリアです。長崎東町のほかに長崎仲町、長崎南町の合計3つです。これらは7年間しか存在しなかったということになります。そのわずか7年だけの旧町名が平成も終わるという現代において未だに現存していることは筆舌に尽くし難いことこの上なしです。昭和40年代に消滅した旧町名がそのエリアで現存していないことがザラですし、新旧町名の違いが「町」の有無だけの場合でも残っていないこともあるわけですから、長崎東町の現存は奇跡としか言いようがありません。

話は飛びますが、長崎町自体も大正15年に長崎村から変更になっていますので、実はこれも7年しか存在しなかった貴重な旧自治体名なんですね。

話を戻しまして、ではなぜ長崎東町は現存していたのか。考えられる要素が2つあります。まず1つは、空襲の被害を逃れたこと。戦災焼失区域表示の地図を確認すると、豊島区は池袋駅周辺の繁華街のみならず巣鴨雑司が谷椎名町駅周辺など広範囲で空襲の被害に遭っていることがわかります。その中で被害を逃れたエリアが現在の高松、千早、千川、要町、長崎、長崎南(東長崎駅周辺)なのです。

そしてもう1点は、関東大震災以降の耕地整理による宅地開発によって文化住宅が立ち並ぶエリアだったこと。当日現地に赴いたときに感じたのが和洋折衷のモダンな作りは建物だけでなく門の作りからもこだわりを感じる住宅が多く現存している点でした。古い建物を大切にするその姿勢が旧町名の保存にも繋がっているのではないでしょうか。

長崎東町があるなら、長崎仲町と長崎南町も残っているのでは。そのような期待を胸に探してみましたが今の所現存は確認できていません。

[発見日:平成30年9月2日]