【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】中野1丁目の一部
【町名の由来】江戸城を築いた太田道灌が豊島一族と戦った「江古田・沼袋の合戦」のときに、この地に太田勢の陣があったため。すごい合戦名ですね。西武グループが関与しているに違いない。
【感想・雑記】こと旧町名に関しては、中野区は中央線を境に南北で性質が異なることは以前にもお伝えしております。ようは、南側にはまだ見ぬ強豪が潜んでいるということですよ。今回の「城山町」もそんな中野区数十人衆、数十天王、数十傑のひとつです。あたりは96%住宅街でして、かつ高台気味なので散策が容易ではありませんでした。結果としては、今回の例の東京電力のあれがひとつと年季の入ったもうすぐ取り壊しのようなアパートの表札がひとつの計2つのみ確認することができました。この日は光化学スモッグにやられており、記憶が不明確です。
[発見日:平成22年6月8日]
[旧町名由来出典:江戸東京残したい地名(著/本間信治)]