旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【千代田区】神田一ツ橋

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【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】一ツ橋
【感想・雑記】家がない。学校とビルしかない。そんな立地の一ツ橋にも旧町名が残されていました。人口48世帯・わずか65人のこの地域、まさか残っている訳無いだろうという先入観が如何に無意味なものかを痛感したところです。これは気がつかなかった。
時間帯が悪かったので写真が暗いため、文字の判別に難がありますが、心の目で読むことにより問題なく読むことができるでしょう。黒色の一の文字さえ捉えられればほぼ勝ちです。

由来は江戸御三家の一橋家からきているのかと思いきや、一橋家は後で一ツ橋という橋が先だそうです。日本橋川と小石川の合流地点を表す一つに掛かっている橋なので一ツ橋らしいです。

[発見日:令和2年9月18日]

【板橋区】志村西台町

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【消滅した年】1969(昭和44)年
【現在の町名】西台、高島平、新河岸
【感想・雑記】都営三田線の駅名にもなっている西台。ラーメン二郎のある駅としてあまりに有名ですが、西台駅の住所は板橋区高島平。板橋区西台ではありません。ですが、西台駅開業の1968年時点では住所は板橋区志村西台町でした。これが今回の旧町名です。

西台の由来が現在の志村三丁目駅南側にある志村城山公園を登ったあたりにあった志村城の西側の台地という点からも分かるように、本来の西台は現在の板橋区西台の高台のエリアです。西台駅のある場所は一応は志村西台町ではあるものの一面田んぼだったことが古い地図や当時の古い写真からも伺えます。

したがって、範囲は広いものの実質的に高台部分だけをさがせば良く、更には戦前から存在するような屋敷のような家が多く残っているようなエリアなのでこれは目を瞑ってても見つかるやつだという予測の下で志村西台町をさがしはじめました。それがおよそ6〜7年前。

全然見つからないのよ。見つからない以前に勾配が凄いのよ。登ったと思ったらすぐ下らされてまた登らされて。古い屋敷の古い門柱もとにかく思わせぶり。志村西台町さんは気力と体力の両面を削ぎにかかってくるのですが、その隙を上手くつけたのか、こんなところに残っていたのかという感想です。これは何の話なんだ。

[発見日:令和2年11月15日]

【荏原區】中延町

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【消滅した年】1947(昭和22)年
【現在の町名】品川区中延など
【感想・雑記】東京の旧町名をさがし始めて14年余、


ついに、ついに、ついに!



荏原區発見しました!!!!



もうこの一文だけで私はお腹いっぱいです!


今まで長年に渡り、旧町名をさがす会をご愛顧いただきありがとうございました!!!!

[発見日:令和2年9月13日]






















そんな心境にもなるほど、これまでこの荏原區は探せど探せど見つからない鬼門というべき旧町名でした。

何故そこまで荏原區の発見が困難を極めたのか。その要因は2点。

まず挙げられるのが空襲被害です。

荏原区の空襲罹災率は、95.78%。これは東京35区中最大となり面積にすると3.8km2のうち3.68km2と言われています。ほぼ全域が空襲で焼き尽くされたエリアで戦前からの旧町名が果たして現存しているのか。完全に、俗に言う無理ゲーというやつなのです。
したがって荏原區は無いという前提からスタートしなければなりません。じゃあ荏原區は無理として、旧荏原區エリアの品川区の昭和40年前後に消滅した本来の旧町名をさがせばいいじゃない。さがしているうちにもしかしたら荏原區も見つかるかも知れないし、見つからなくても本来の旧町名をさがしをしていれば荏原區のことも諦められるはず。

そう思えればどれだけ楽だったでしょう。そうはいかないのがもうひとつの要因である、現行町名とのブレの無さなのです。

ブレの無さ。この言葉の絶望感をどう形容すれば伝わるでしょうか。簡潔に表すとこうです。

旧町名:品川区小山
現町名:品川区小山

そうこれが荏原區エリアの品川区、町の有無ですら無いのです。

さあ、このエリアで荏原區なんか忘れて旧町名さがしを行うことができるでしょうか。もう逃げ場はありませんでした。荏原區と向き合うしか無いのです。残余エリア4%の荏原區と。

そんなこんなでモチベーションを見出せない旧町名さがしをこのエリアでだらだら場当たり的に十数年繰り広げてきましたが、さすがに今回で最後にしようということで数日に分けてしかも真夏のクソ暑い中全域調査を実施しました。その結果がこれです!ちゃんとありました!もっと真剣に向き合うべきだった!

もう由来とか歴史とかはどうでも良いです。現存していたという事実だけで繰り返しますがお腹いっぱいです。

【足立区】島根町

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【消滅した年】1971(昭和46)年
【現在の町名】島根、梅島
【感想・雑記】今も町名として島根は残っているし、ましてや町があるか無いかだけの違いな訳ですからこれはもう確実に残っているだろうと思うわけですよ。何なら目を瞑ってても秒で見つけられるとまで思ったわけなんですよ。
結果1時間もかかってマジでゲロ吐きそうでした。現存していたから良かったものの。

足立区民にとって島根と言えば鳥取の横ではなく梅島の上の方でお馴染みの今回の島根町ですが、由来は別に島根県であるわけもなく、新編武蔵風土記曰く、島畑(水田の中にある畑地)が多かったから島畑村というのが誤って伝わったのか転じたのか何故か島根村になったのだそうです。

ちなみに足立区民にとっての島根の下こと梅島は梅田町+島根町の旧町名同士の合成町名です。

[発見日:令和2年10月25日]

【品川区】大井金子町

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【消滅した年】1964(昭和39)年
【現在の町名】西大井
【感想・雑記】やけに人名っぽい響きの旧町名と思いきや町名の由来がマジで人名でした。江戸時代この地に城館を構えて住んでいた金子左近という長者さんから金子町となっているらしいです。

大井金子町に隣接していた他の旧町名も大井山中町、大井伊藤町【品川区】大井伊藤町 - 旧町名をさがす会など同じく人名っぽいと思いきや、これらももちろん人名由来でした。

[発見日:令和2年9月13日]

【足立区】千住桜木町

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【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】千住桜木
【感想・雑記】見る方向によって煙突の本数が違って見えるであまりにも有名な「お化け煙突」のあった千住火力発電所があった町です。

旧千住町で桜堤があったから千住桜木町という町名でした。北千住以西エリアの旧千住町エリアは町名変更もなく未だに千住◯◯町という町名のままですが、今回の千住桜木町だけがなぜか町名変更が行われました。しかもなぜか「町」だけが無くなるというマイナーチェンジを遂げているのです。

[発見日:令和2年10月3日]

【足立区】千住東町

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【消滅した年】1968(昭和43)年
【現在の町名】千住東
【感想・雑記】千住◯◯町のうち北千住駅周辺の町名はほぼ現行町名のままですが、千住桜木町と今回の千住東町のみ旧町名です。いずれも現行町名とは町が有るか無いかだけの違いではありますが、なぜこの一文字の違いを含め旧町名をさがし出す為に東京時層地図片手に10年以上都内をうろうろ徘徊しているのか、最近改めて考えています。

何が楽しくて旧町名をさがしているのか。自分にとって楽しいと思える状態とは何か。旧町名さがしは基本的には苦痛が9割です。あるかどうかも分からないものを東京時層地図だけを頼りに現地に赴きウロウロ徘徊するだけの行為ですから、無駄骨無駄足が当たり前です。その反動で例え町の一文字が付いているだけであっても発見できたらそれはドーパミン大洪水状態ですよね。
やはり、この広い東京でましてやもうすでに無くなっている町名をヒントゼロから発見することに楽しさというかこの活動の意義を見出していることがわかりました。

一方で私がこうしてブログで発見したものをアップする行為は、私と同じ視点で意義を見出している方の楽しさを奪っているということもジレンマとして感じています。その点はとても申し訳なく思っています。申し訳無いとは思いつつ、ここまで十数年続けてきたこの活動を行う意義を鑑みるとこのまま探し尽くしてブログの更新を終えたいと思います。
そのためには、今後も出来る限りノーヒントで東京時層地図だけを頼りに自力で探すことに拘っていきたいと思いました。

そして今更知りましたが、現町名の千住東の読み方が「せんじゅひがし」ではなく「せんじゅあずま」であることに驚きを隠せません。

[発見日:平成31年1月12日]