旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【江東区】深川木場

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】木場
【感想・雑記】以前Twitterで現存を教えていただいたので、現地に確認に行こうとしていた道の途中でもう一つの現存を確認できましたというお話です。

元禄14年・1701年に江戸の材木商に対して材木置き場としてこの地域の用地が払下げられ、その2年後に木場町という名前が誕生したそうです。

材木商らは土手と堀を築き貯木場を設けたことで材木問屋の町として栄えましたが、昭和に入り新木場ができたことでこの地にあった堀は埋め立てられ今は木場公園となっています。

東京に来て間もない頃、新木場で行われているプロレスイベントに行こうとして下車したのがなぜか木場駅だったという良い思い出の詰まった街です。

[発見日:令和2年6月21日]

【福島県郡山市】喜久田町字上田向

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【消滅した年】2018(平成30)年
【現在の町名】郡山市八山田西
【感想・雑記】前回の富田東もそうですが、住居表示の実施ではなく、土地区画整理事業による町名変更だったんですね。

それと前回の富田町字上田向と場所はそれほど離れてはいないのですが同じ字名です。

喜久田町も富田町も元々は独立した自治体名で郡山市編入されました。なぜか手元にある1951年の福島県市町村年鑑によると、当時の喜久田村は人口4773人に対し富田村は4821人、ヤギが喜久田村35頭に対し富田村か6頭という隣接同士大変拮抗していたのが読み取れます。

[発見日:令和元年12月29日]

【福島県郡山市】富田町字上田向

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【消滅した年】2017(平成29)年
【現在の町名】郡山市富田東
【感想・雑記】東京以外の動向は殆ど存じ上げていませんが、旅行や出張などの際にはその街の住居表示の実施具合はチェックする様にしています。

この郡山市は帰省時の通過地点でしかありませんが、郡山市のホームページによると住居表示の実施が2〜3年前に行われたばかりの土地があるというではありませんか。

普段乗換駅でしかない郡山駅で新幹線から磐越西線に乗り換えて一駅で下車、そこから徒歩で5分程度の立地にあるところにありました。新町名に付け替えがされていない電柱掲示が残されていました。

そして、よく見たら住居表示の実施ではなく、土地区画整理事業による町名変更の誤りでした!戒めのとして上記は修正せず残しておきます。

[発見日:令和元年12月29日]

【江東区】深川猿江町

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【消滅した年】1968(昭和43)年
【現在の町名】猿江
【感想・雑記】錦糸町駅を南下すると3つの旧町名が現れます。深川毛利町、深川住吉町、そして深川猿江町。現町名は全て深川と町が無くなった状態です。現町名と旧町名が全く異なるものならともかく、根本の情報は同じなので容易に見つかるはず。そう思っていました。

それがどうでしょう。深川住吉町【江東区】深川住吉町 - 旧町名をさがす会こそ探しに行った初回に見つけられましたが、残りの深川猿江町、深川毛利町は行けども行けども見つからず。そうこうしている間に10年が経過していました。

ところが、今年に入ってその流れが変わり始めました。引越しによってホームが変わり江東区へのアクセスが容易になったのです。すぐ行ける距離にあるということはメンタル的な余裕が生まれるため、より広い視野でサーチすることができるのかもしれません。
4月に引越し、5月は緊急事態宣言下での外出自粛、6月に深川毛利町【江東区】深川毛利町 - 旧町名をさがす会、そして7月に今回の深川猿江町を発見することができたのです。今までの10年何だったんだ…

町名の由来はエテではなく小名木川。江戸時代に開削された当時小名木川は新江(さらえ)という名前でした。それが訛ってサルエになったとか。本当かよ!

[発見日:令和2年7月18日]

【墨田区】緑町

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【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】緑
【感想・雑記】緑町という一見住居表示後の町名の様に思えなくもないですが、元禄元年(1688年)から続く大変歴史のある町名なのです。
緑町というからにはさぞかし緑あふれる空気の綺麗な都会のオアシスなのかとお思いでしょう。京葉道路を中心に北は総武線で南は首都高、西に両国、東に錦糸町という立地
にあり、緑とは対極の様に感じますが、関東大震災前はこの緑町に隣接する町名が北は南二葉町で南側林町さらに東側は花町と、かつて緑あふれる豊かな町だった様に文字面上は思います。

町名の由来が、縁起物的なおめでたい松の緑からということは、現在の近隣町名である亀沢や千歳などからも伺えます。
[発見日:平成31年4月27日]

【横浜市港北区】南綱島町

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【消滅した年】1973(昭和48)年
【現在の町名】横浜市港北区綱島東、綱島西、綱島
【感想・雑記】以前マニアフェスタというイベントに出展した際には、ブースにお越しいただいた方々から様々な旧町名情報をいただいたりしました。その中で新横浜あたりに活きの良い旧町名あるよ的なお話をいただいていましたので鮮度の良いうちに行かないととは思っていました。ですが、私の旧町名さがしを取り巻く重要な構成要素のうち、全体を100%とした場合のおよそ150%を占めるとも言われている東京時層地図の表示範囲外ではないかということに気がつき敬遠の状態でした。

しかし、いい加減そんな事言っている場合ではない程度のストック数ということもあり、行くか若しくは行くかの二択を迫られる状況にまで追い込まれてしまっていたのです。
実は東京時層地図のiPad版アプリではなんと東京と言っておきながら横浜市まで網羅しているのですが、手元の古いiPadではそもそも起動すら危ぶまれるコンディションのため、iPhone版で且つギリギリ表示範囲内の横浜市を攻めることにしました。そうなんです。iPhone版も、東京と言っておきながら川崎市はある程度表示範囲内なのです。そこで、ギリギリ横浜市が表示されている且つ新横浜方面のエリアをさがしたときのギリギリのラインが東急東横線綱島駅だったのです。

綱島駅周辺は生憎旧町名というものの存在を確認することができましたのでとりあえずさがし、そして何とか残っていたのがこちらのものになります。
綱島の旧町名は今回の南綱島町の他にも北綱島町、綱島町とありましたが、現町名は方角が東西に変わったくらいのマイナーチェンジ感です。

[発見日:令和2年1月19日]

【板橋區】志村前野町

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【消滅した年】1962(昭和37)年
【現在の町名】前野町
【感想・雑記】23区内の他の多くの町名が昭和38年以降住居表示の実施により消滅しています。この住居表示の特徴として挙げられる一つに「町」の不使用です。
これは、昭和38年の街区方式による住居表示の実施基準において、◯丁目と付く町名には町を使用しない旨のルールが存在していたことによるもので、例えば墨田区錦糸町の現町名が墨田区錦糸である点などが挙げられます。
ではなぜ、今回の志村前野町の現町名が前野「町」なのでしょうか。
実は志村前野町の消滅は住居表示の実施ではなく、昭和37年に行われた地番整理によって消滅したものだからなのです。

なお、上記の町不使用ルールは、千代田区有楽町を有楽にしようとした際に反発が起こったことで昭和42年の改定時に基準からは無事削除されましたとさ。

[発見日:令和元年8月24日]