旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【新宿区】本塩町


【消滅した年】2017(平成29)年
【現在の町名】四谷本塩町
【感想・雑記】今東京都内で最も新しい旧町名なのが今回の本塩町です。

1878年の四谷區成立から1911年の33年間は四谷區内の町名には四谷という冠が付いていました。1911年に冠がなくなり、1947年に四谷區が消滅して新宿区が成立して以来、旧四谷區の町名たちは、新宿区四谷の近くにある数多の住居表示未実施地域という時代を過ごします。

潮目が変わったのは2015年。新宿区坂町が消滅し104年ぶりに四谷坂町が復活するという出来事でした。

これを契機に周辺の町名も四谷冠復活の機運が高まりを見せはじめ、その流れに乗って本塩町も隣の三栄町も四谷冠がついた新町名が誕生しました。

ここで四谷坂町とこれら2つの町名には決定的な違いが存在することに言及しておきます。

前者は復活、後者は誕生なのです。

本塩町は市ヶ谷本村町と四谷塩町が1943年に合併して誕生した町名ですから、四谷本塩町という町名は完全な新町名ということになります。四谷三栄町も同様です。

平成も終わりを迎えるわけですが、まさか新町名の誕生と共に、新しい旧町名という矛盾の誕生をも目の当たりするとは思いませんでした。

ある町名が誕生するところに旧町名あり。

旧町名復活運動が起こったり起こらなかったりしていますが、この世に新たな旧町名が誕生するという点においてのみで支持したいです。旧町名が見つかればそれだけで良いのです。

[発見日:平成31年3月2日]

【江東区】深川高橋

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【消滅した年】1971(昭和46)年
【現在の町名】森下、高橋
【感想・雑記】深川という冠は取れたものの、今も高橋という町名は残っています。ただし深川高橋と現在の高橋ではその範囲は大きく異なります。というか大幅に縮小されてしまい、何丁目などが付かない単純な高橋です。深川高橋時代は5丁目まであったのに。

 

それでは、かつて栄華を極めた深川高橋のあの丁目たちは今どうなっているのか。深川高橋3〜5丁目はそのまま現在の江東区森下3〜5丁目に変わってしまっています。

 

上級町名である深川高橋が5丁目まで幅を利かせていた当時、2丁目までしか存在しなかった下級町名の深川森下町が、住居表示実施という革命によってそのまま立場を逆転させることに成功した格好となりました。まさに勝てば官軍。増えれば丁目。

 

小名木川にかかる高橋という橋の名前から来ているこの由緒ある町名が住居表示実施後単なる高橋になってしまったこの姿が、どこか徳川家に通じる儚さを感じてしまいます。頑張れ高橋!

[発見日:平成30年6月17日]

【墨田区】亀沢町


【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】亀沢
【感想・雑記】両国駅錦糸町駅のちょうど間のエリアにある旧町名です。新旧の違いは町の有る無しだけです。由来はこの辺りにあった亀澤という池から来ています。総武線の線路を挟んで南側にある緑や千歳そしてこの亀沢と、墨田区の町名は割と縁起の良いものが多いのですね。

町内には、野見宿禰(のみのすくね)神社という相撲の始祖と言われている野見宿禰を祀る神社があります。相撲協会が場所前に参拝したり境内に歴代横綱の碑があったりしますが一般公開はされていないようです。

[発見日:平成31年2月24日]

【大田区】北千束町


【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】北千束
【感想・雑記】千束の由来は、寺社への供仏田で租税が免除されていた田園地帯で千束分の租税が免除されていたから千束とも、日蓮が足を洗った池・洗足池が近いから転じて千束とも言われています。
駅名にもなってますし、今の町名も町がなくなっただけなので簡単に見つかると思っていたらその通りでした。全域回る前の最初の5分くらいで発見できたのですが、もしかしたら大森區北千束町とか普通に残っていそうな気がします。

[発見日:平成30年11月4日]

【世田谷区】玉川尾山町


【消滅した年】1970(昭和45)年
【現在の町名】尾山台、等々力、
【感想・雑記】尾山は古い書物には小山郷という文字が見られたといいますが、世田谷区ホームページによりますと「荏原郡小山(おやま)村」という区域だったようです。同じ荏原郡には現在の武蔵小山でおなじみの小山(こやま)が存在していたのですが、同じ小山被りに対する配慮なのか、明治8年にこちらの小山が尾山に変更されたのだそうです。

世田谷区のこのあたりの旧町名には「玉川○○町」という玉川を冠に掲げる特徴があります。この玉川シリーズで最後まで見つけられていなかったのがこの玉川尾山町だったのです。見つけられなかった要因の80%強はまさに地名が表す崖のようなこの台地と言えるでしょう。同じ玉川尾山町の町域内にあんなラージヒル決勝のような勾配があったらそれは行くの避けますよって話ですよ。

[発見日:平成30年12月15日]

【品川区】五反田


【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】東五反田西五反田
【感想・雑記】駅名として当たり前のように使っているからか五反田という町名が存在していると思われがちですが旧町名だったんですね。これは御徒町の法則と呼びます。もしくは錦糸町現象です。

由来はおそらく五反もの田んぼが広がる土地だったとかなんでしょうね。

一反が300坪・約1,000㎡なので五反だと1,500坪・約5,000㎡という広さになります。

東京ドームが約15,000坪ですから、1五反田あたり東京ドームの1/10、1東京ドーム=10五反田もしくは五十反田ということになります。この算式は昨年の五反田検定試験に出ましたので覚えておきたいですね。

[発見日:平成31年1月19日]

【足立区】神明南町

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【消滅した年】1978(昭和53)年
【現在の町名】神明南
【感想・雑記】足立区には神明と神明南という2つの町名が存在します。そこにはもともとは神明町(https://9cm.hateblo.jp/entry/20180625/1529935184)という旧町名がありましたが、神明町の南側が1963年に独立してこの神明南町が誕生しました。由来はまさに神明町の南。その後1978年に住居表示が実施され神明町と神明南町は消滅した、それぞれ町だけを消滅させて神明、神明南が誕生しました。

 

ここで注目すべきは、神明南町という概念がこの世の中に存在していた期間です。

 

1963年に産み落とされ1978年に消滅という、なんと僅か15年しか存在しなかったのです。

 

足立区には他にも西六町(https://9cm.hateblo.jp/entry/20140423/1398260840)という同じく15年間の旧町名がありますが、実は日吉町という1961年に生まれて1964年に消滅という僅か3年という最強の旧町名もあるそうです。もちろん未発見!

 

しかし、神明南町、なんで方角が南だけなんでしょうかね。

少なくとも神明北という町名は絶対に不可能です。

何故ならそこは埼玉だからだ!

[発見日:平成31年2月2日]