旧町名をさがす会

かつては東京都内に存在し、そして消えてしまった旧町名。 このページは、行政上は消滅したものの、街角で未だに存在を確認することができた旧町名を紹介するものです。

【足立区】神明南町

f:id:so102:20190204000450j:image

【消滅した年】1978(昭和53)年
【現在の町名】神明南
【感想・雑記】足立区には神明と神明南という2つの町名が存在します。そこにはもともとは神明町(https://9cm.hateblo.jp/entry/20180625/1529935184)という旧町名がありましたが、神明町の南側が1963年に独立してこの神明南町が誕生しました。由来はまさに神明町の南。その後1978年に住居表示が実施され神明町と神明南町は消滅した、それぞれ町だけを消滅させて神明、神明南が誕生しました。

 

ここで注目すべきは、神明南町という概念がこの世の中に存在していた期間です。

 

1963年に産み落とされ1978年に消滅という、なんと僅か15年しか存在しなかったのです。

 

足立区には他にも西六町(https://9cm.hateblo.jp/entry/20140423/1398260840)という同じく15年間の旧町名がありますが、実は日吉町という1961年に生まれて1964年に消滅という僅か3年という最強の旧町名もあるそうです。もちろん未発見!

 

しかし、神明南町、なんで方角が南だけなんでしょうかね。

少なくとも神明北という町名は絶対に不可能です。

何故ならそこは埼玉だからだ!

[発見日:平成31年2月2日]

【杉並区】新町


【消滅した年】1964(昭和39)年
【現在の町名】善福寺、今川、上井草
【感想・雑記】上井草駅の南西側、東京時層地図の表示エリア外にも関わらず、Twitterでお寄せいただいた発見情報を頼りに発見することができた「新町」。この旧町名とは対極に位置するような名前の旧町名は、なぜ「新」なのか。

杉並区が誕生したのが昭和7年10月1日ですが、杉並区新町が誕生したのが翌昭和8年とのこと。なるほど、杉並区成立度に新しく誕生した町だから「新町」なのね。

そう思いきや、杉並区の前の井荻町時代も上井草字新町として存在していたらしいのでこの謎タイムラグはなんだったのか。この間ここの住所はどうなっていたのか。

そんな最後まで謎のまま終わった新町。このだらだらと約10年延命し続けていたブログの最後を締めくくるにふさわしい旧町名でしたね。はてなダイアリーがサービス終了となり、ブログの更新も本日2019年1月28日で停止されるようですので、一旦これを以ちまして更新を、今流行りの休止とすることにいたしました。復帰は次の移行先のブログが決まってからになりますが特に決まっていませんので、いい移行先がございましたらTwitterでもメールでも結構ですので教えてください。

それでは今後とも旧町名をさがす会を宜しくお願いします。ありがとうございました。

[発見日:平成29年12月16日]

【板橋区】上赤塚町


【消滅した年】1969(昭和44)年
【現在の町名】赤塚、赤塚新町、三園、成増、新河岸
【感想・雑記】下赤塚町をご紹介してから気がつけば1年も経ってしまっていました。

赤塚村の大字として下赤塚とともに存在したのち板橋区への編入の際に上赤塚町が誕生しています。

上と下という位置関係が表す通り隣同士に位置していましたが、上赤塚は成増駅、下赤塚は下赤塚駅に近くそれぞれが現在の高島平あたりまで南北に伸びている町域でした。

[発見日:平成29年11月3日]

【練馬区】仲町


【消滅した年】1965(昭和40)年
【現在の町名】氷川台、平和台、錦、早宮
【感想・雑記】本当に地味なんですが今存在しない町名なんですよね練馬区仲町っていう如何にも住居表示実施しました感のあるこの町名は。同じ境遇にあったのが隣の「南町」。これも仲町と同様現在存在しない町名です。仲とか南とかよりも、現町名の「早宮」の方がよっぽど旧町名っぽいっじゃん。早宮町だったらこれ完全に旧町名だよね。

そんな不遇な旧町名を横目に未だに存在している町名があります。それが「北町」です。
なぜ仲と南がなくなり北は今もあるのか。

練馬区の中心でもないのに仲町とは如何なものか」

練馬区南町って言う割には東じゃね?」

などという声が当時の練馬区議会で挙がり紛糾に次ぐ紛糾によって、一時は板橋区への再編入も検討されたとかされないとか。
もしかしたらその責任をとって仲町と南町は消滅の道を選んだ説

[発見日:平成30年9月24日]

【北多摩郡保谷町】大字下保谷字東新田


【消滅した年】1967(昭和42)年
【現在の町名】保谷市東町→西東京市東町
【感想・雑記】23区を出たらそこには旧町名が広がっていました。西東京市保谷市田無市が合併して誕生したのは記憶に新しいと思いますが、もうその時点で「保谷市○○」「田無市○○」という旧町名が蠢いているわけですよ。平成の消滅ということもありますのでそりゃあもうその辺に生息しているわけですよ。目を瞑っていても見つかるレベルです。

そのイージーモードを前提として、その保谷市の住居表示実施前の旧町名と、保谷市以前の保谷町当時の旧町名というさらに2軸の旧町名が存在しているのです。こんなチートエリアがこれ程身近に存在していたなんて。23区では考えられないですよね。

今回の旧町名はその2軸の後者に該当する、保谷町当時の旧町名です。まだ郡ですよ郡。北多摩郡は、明治11年に「神奈川県」北多摩郡として誕生しました。明治26年に東京府の管轄になって以降、現在の東京都内にある「市」の付く自治体や世田谷区までを網羅するとても広い範囲に及んでいました。戦後、武蔵野町を皮切りに北多摩郡に属していた各自治体が「市」となったタイミングで相次いで離脱。昭和45年の村山市の消滅と武蔵村山市の誕生によってその幕を下ろしました。

保谷町も昭和42年に保谷市となったタイミングで北多摩郡を離脱していましたが、ここで疑問なのが、今回発見した旧町名は「保谷町」時代。消滅したのは昭和42年。保谷市誕生と同じなんですね。時系列的にどっちが先なのか日付単位で調べてみたらこれも同じ「1月1日」。てっきり「保谷町大字〜」→「保谷市大字〜」→「保谷市東町」なのかと思っていました。どうやら「保谷市大字〜」というワンクッションの余地もなく、市制と旧町名の消滅が同時に行われたっぽいですね。それであれば、前述した「保谷市の住居表示実施前の旧町名」という概念が若干揺らいでしまっています。

そのような疑問を解消するとともに、23区では乱獲しまくってすっかり枯渇してしまった旧町名を十二分にさがしまくるためにも、保谷市田無市にはいつか3泊5日くらいの合宿で旧町名を徹底調査してみたいなと思いました。マジで。

[発見日:平成30年10月27日]

【世田谷区】上北沢町


【消滅した年】1966(昭和41)年
【現在の町名】上北沢、桜上水
【感想・雑記】東京に住んでいてシモキタこと下北沢を知らない人はおそらくおられないと思います。では、カミキタこと上北沢はご存知でしょうか。下があるとこ上があり、シモキタあるとこカミキタあり、もちろんそれぞれが駅名になっているのでカミキタがそこまでマイナーと言い切れません。そして小田急線下北沢の隣の駅は東北沢であって、上北沢は遠く離れた京王線。このように同族嫌悪するかのように相反する双方には決定的な違いが存在することをご存知でしょうか。

実は、世田谷区下北沢という住所は存在しないのです。もちろん、世田谷区下北沢町などという旧町名すら存在しません。一方今回のカミキタは、新旧町名ともに住所として存在しています。従いまして、町名・旧町名業界の視点で述べると、下北沢はマイナーどころか圏外もしくは存在すらしない概念といえるでしょう。

ただし、厳密にいうと世田谷区誕生以前の世田谷村の字としては下北沢は存在していたので、その視点で述べると旧町名といえるんでしょうね。一方その当時の上北沢町は松沢村の字としての上北沢でした。上北沢駅下北沢駅というかエリアが隣接せず異なっている理由はこのような背景があるんですね。


[発見日:平成30年9月2日]

【豊島區】要町


【消滅した年】現存
【現在の町名】豊島区要町
【感想・雑記】消滅しているわけではないんですよね。区が區だし豊島区が區島豊だしおそらく大東京市35区時代の戦前のものであろうと思われますので、東京35区時代の豊島區は消滅している解釈でご紹介することにしました。豊島区の前身の北豊島郡長崎町の中心に位置して扇の要の位置だったから要町だそうですよ。

有楽町線の駅名にもなっている要町。池袋の次の駅という立地にも関わらずその全容は謎に包まれている気がする方もおられるかと思います。私もそうでした。現地に行って驚いたのが戦前の高級住宅街的な雰囲気を残している点です。いわゆる文化住宅がわりとそのまま残っていたりするんです。
[発見日:平成30年9月2日]